村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【④いちばん大きな声】(『人生のちょっとした煩い』より)

Amazonより

 グレイス・ペイリーは、ニューヨーク生まれブロンクス地区育ちのロシア系ユダヤ人です。ブロックスユダヤ人のコミュニティー地区で、ロシア語とイディッシュ語と英語が同じくらいの割合で話されていました。彼女自身強烈なアクセントの英語を話し、小説の文体にもその響きが色濃く反映されたといいます。ユダヤ人であることは、彼女が創作するうえで大きな意味を持ちました。

 

 本作はアメリカに移住してきたユダヤ人が、彼らにとって異教の祝い事であるクリスマスについて論争する話です。ある日シャーリーは、先生から大きな声をかわれてクリスマスの劇で進行役に抜擢されました。ところが厳格なユダヤ教のコミュニティーの人々はキリスト教の劇に出演することに反対します。

 

『異文化の信仰心』

二人はイディッシュ語で論争をした。それからロシア語とポーランド語のごたまぜに移った。次に私(シャーリー)に理解できたのは、父さんの言葉だった。「いずれにせよだね、あんたも認めなくちゃいけないよ。私たちがこのようにして、異文化の信仰心に触れさせてもらえたというのは、間違いなく良きことだったじゃないか」「まあ、そうですけどね」とミセス・コーンブラーは言った。

 

 アメリカに住むからにはそれを認める必要があると判断した彼らは、しぶしぶシャーリーの出演を認めました。その後も彼女のクリスマス劇での活躍を巡ってざわつく人々。そんな喧騒の夜に思い描いた祈りを彼女は今も忘れずにいます。

 

【おやすみなさい。静かにね】

 本作には信仰の垣根を越えて、すべての人と喜びを分かち合いたいと願う少女の純粋な気持ちが描かれています。ユダヤ人としてのアイデンティティを守りつつ、普遍的な価値観を希求する作者の姿勢が少女に反映されているのは間違いないでしょう。

 

 物語のラストは『おやすみなさい。おやすみなさい。静かにね』と眠るの前のお祈りの声を張り上げるシャーリーに『お前こそ静かにしなさい』と父親がたしなめるほほえましいシーン。2023年12月現在、戦闘を続けるイスラエルパレスチナの人々にそうした祈りが聞き届けられる日は来るのでしょうか? ふとそんな妄想が頭を過って切ない気持ちになりました。

 

 宗教的な観点から見れば、クリスマスはキリストの降臨を祝うキリスト教徒にとって重要な日であることは言うまでもありません。その一方で広く愛や慈善の精神が共有され、異なる信仰や異なる文化の人々が盛大に喜びを分かち合う文化的、商業的イベントとして捉えられています。私自身は単純にそういうものだと受け入れてきましたが、どうやらそれは寛容と非寛容を計るバロメーターにもなっているようです。

 

 シャーリーの父さんの言葉がなるほどと腑に落ちたので最後に引用しておきます。

 

「結局のところ、歴史は万人に教えを与えるものなんだ。私たちは本を読んで、これは異教の時代から受け継がれてきた祭日であるということを知る。蝋燭、明かり、ハヌーカ*1だってひとつの原型になっているんだ。クリスマスも、隅から隅まですっかりキリスト教徒の祭りってわけじゃない。だからもし連中が、クリスマスというのは身内だけのものだと思い込んでいるとしたら、それは排他的っていうより、ただ無知なだけなのさ。」

 

*1:ハヌーカキリスト教クリスマスとほぼ同じ時期に祝われるユダヤ教の行事。クリスマスプレゼントのように子供に「ハヌ—カ・プレゼント」を与えたり、クリスマスツリーに似た「ハヌーカ・ブッシュ」と呼ばれる常緑樹を飾ったりする