グレイス・ペイリーは、アメリカを代表する小説家であり詩人、大学教授、フェミニスト、そして社会主義の政治活動家として知られています。彼女の両親はウクライナからの亡命ユダヤ人で、家庭ではロシア語とイディッシュ語*1が話されていました。彼女は高校を中退し、19歳で結婚するも離婚。二人の子供を抱えながら、子育てと政治活動に奔走しました。その結果、作家としての活動は限られ、出版された短篇小説集はわずか3冊にとどまります。
しかし、そんなアウトサイダーである彼女が、どうしてアメリカ文学を代表するカリスマ女流作家と呼ばれるようになったのでしょうか。村上春樹訳による本書に収められた17の短篇をご紹介するなかで、その謎に迫ってみたいと思います。
ただし、アクの強い偏向的な意見が散見される可能性があるため、ブログが迷走することも予想されます。従って、他の公序良俗に沿った作品紹介を間に挟みながら、少しずつ掲載していく形を採ります。また、通してお読みになりたい方には、各タイトルに番号を付けますのでご参考ください。
前置きが長くなりましたが、さっそく最初の作品をご紹介します。
《あらすじ》
図書館の前で偶然、私は別れた前の夫に出会った。その際、18年間借りっぱなしだった本の罰金を支払う。そして今返却したばかりの二冊の本を再び借り直した。そんな行動を見た元夫は、ぽつんとひとこと意見を残して立ち去った。
『私が必要なもの』
私は厳しい告発を受けたような気がした。でもまあたしかに、相手の言い分にも一理あった。私は何かが欲しいだの、何かがどうしても必要だのと口にすることはあまりない。しかし私にだって欲しいものや望むことはあるのだ。
借り直した古い本に対する興味はもはや失われた。私には、一人の相手に終生夫婦として添い遂げることなど出来はしなかったし、それを望むべきでもなかった。それでもいま、未来に向けて新たな一歩を踏み出す意欲を自分の内に感じている。
【超ポジティブ思考】
主人公が図書館を訪れた理由は、町の街路樹を眺めているうちに、公共の秩序に従った行動を取れる人間になりたいと思ったからでした。しかし、元夫の一言を受けて彼女の胸に浮かんだのは、この国を変革したいという壮大な野心でした。その野心は、実際のところ夫婦関係の破綻から来るコンプレックスに由来しているのですが・・・。
ペイリーの短篇は、このように一見些細な日常の出来事を通して、人々が抱える悩みや葛藤をユーモアと独特な発想で乗り越える姿を描いています。主人公は、この先もさまざまな困難に直面しながらも、自分ならではの方法で未来に向かって歩んでいきます。読者はどこまで彼女の超ポジティブ思考についていけるでしょうか? そもそも、私は本書の17作品を無事に語りきることができるでしょうか? 気長にお付き合い下されば幸いです。