村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【グレート・ギャツビー】

 本書は文学史に残る傑作と評価されるスコット・フィッツジェラルドの代表作であり、村上春樹が満を持して翻訳に取り組んだ意欲作でもあります。

 

《あらすじ》
の敷地の豪邸では週末ごとに盛大なパーティーが開かれていた。パーティーの参加者たちは主催者であるギャツビーについて正確なことを何も知らず、彼の過去に関してさまざまな噂を飛び交わしていた。ある事情から僕はギャツビーと親交を深め、彼が胸に秘めていた想いを知ることになる。

 

『憧れの灯火』

「お宅の桟橋の先端には、いつも夜通し緑色の明かりがついているね」デイジーはふいに、彼の腕に自分の腕をからめた。しかしギャツビーは、自分が口にした言葉に深く囚われているようだった。その灯火の持っていた壮大な意味合いが、今ではあとかたもなく消滅してしまったことに、自分でもおそらく思い当たったのだろう。

 

に焦がれて見つめ続けてきた対岸の憧れの灯火が、今宵は何の変哲もない緑色の明かりに変わる。デイジーとの再会という喜びの絶頂のなかで、ギャツビーは夢がまたひとつ数を減らしたことに一抹の寂しさを感じていた。

 

アメリカ文学を代表する作品】

 物語の舞台となる1920年代初頭のアメリカは、第一次世界大戦後の未曾有の好景気に沸き、新しい文化が花開いた時期です。それまで大衆向けの雑誌に金稼ぎの短篇小説を書きまくっていたフィッツジェラルドは、「時代を画する長編小説を書きたい!」という情熱をかなえるため、一念発起して本書を書き上げました。

 

 戦後のニューヨークで成り上がる中西部出身の青年の軌跡を、賛美と悲哀を交えて描いた本書は、フィッツジェラルドの代表作であると同時に、アメリカ文学を代表する作品です。しかし彼の生前中は、流行作家が書いたやや重厚な作品程度としかみなされず、一時は絶版にさえなっています。没後の再評価運動によって今日のような文学的名声を獲得しました。

 

 本書は九つの章で構成されます。すべての情景が精緻に描写され、すべての情感が繊細に換言されています。特に1章と9章は多義的な表現が駆使されていて、原文は一筋縄でいかない難解さを持つとも言われています。私たちは村上春樹の現代語訳を通じて、その世界観の一端に触れることが出来ます。

 

 ギャツビーの栄光と挫折は、勃興するアメリカの理想と幻滅を象徴しています。折しも1929年に起きたウォール街の株の暴落は、世界恐慌へと波及していきました。現実世界のパーティが終焉し、時代を席巻した作品の多くが退場していくなかで、復活を遂げたこの作品だけは、不朽の名作として今なお読み継がれています。

 

 ところで、2013年に公開されたデカプリオ主演の映画『華麗なるギャツビー』をご覧になりましたか?豪華絢爛な装飾やパーティーのド派手な演出など、抜群のエンターテイメント作品に仕上がっています。なかでもギャツビーとデイジーの再会のシーンは原作に忠実で、とても好感がもてました。映画でストーリーを押さえたら、次は小説をどうぞ。きらびやかな言葉の世界が貴方を待っています。