本書はレイモンド・チャンドラーが描く《私立探偵マーロウ・シリーズ》の代表作です。この作品を読み終えた時、これまで私が勝手に思い描いていたハードボイルドのイメージは覆されました。
《あらすじ》
私立探偵フィリップ・マーロウは、ある日、高級クラブの前で泥酔していたテリー・レノックスという青年を助けます。顔に古傷を持つこの青年にマーロウは不思議な友情を感じて親しくなった。とところが、レノックスをメキシコに送り届けたマーロウに、殺人共犯の容疑がかけられる。レノックスを庇って黙秘を続けたために、マーロウは取り調べ室で手酷い扱いを受けることになった。
『それが私の稼業です』
「誰かが私のところにトラブルを持ち込んでくる。それが私の稼業です。大きなトラブルかもしれないし、小さなトラブルかもしれない。いずれにせよ警察には持ち込みにくい種類のトラブルです。警官のバッジをつけた与太者にこづき回されたくらいでへいこら口を割るような私立探偵を、いったい誰が頼ってきます?」
窮地に追い込まれながら、事もなげに『それが私の稼業です』と言ってのけるマーロウ。難を逃れた後で、さらに複雑に入り組んだ血なまぐさい事件に巻き込まれていく。
【ハードボイルド小説の金字塔】
本書が発表された1950年代のアメリカは、赤狩りが猛威を振るい、デマや密告が横行する暗い時代。大衆紙に短編ミステリーを書きまくって腕を磨いてきたチャンドラーでしたが、『私立探偵マーロウ・シリーズ』のヒットで手ごたえを感じ、その集大成とも言える本作を完成させました。
本書は、チャンドラーの代表作であると同時に、ハードボイルド小説の金字塔でもあります。そもそもハードボイルドとは、登場人物の内面描写を抑えた表現スタイルで、ヘミングウェイの文学にその起源を持ちます。チャンドラーは、ハードボイルドとミステリーをマッチングさせることで、新しい文学の可能性を切り開きました。
タフでアウトローな反面、機知に富み、感傷的な一面も持つマーロウは、多くの読者を惹きつけました。しかし、当初はこの作品は通俗的なミステリーと見なされ、革新的な要素は十分には評価されませんでした。1958年に翻訳された『長いお別れ(清水俊二訳)』でも、原文の一部は余分なものとして削られています。チャンドラーを誰よりも高く評価する村上春樹によって、私たちはこの名作の全貌を楽しむことができるようになりました。
レノックスが直面する悲劇は、当時のアメリカにおける国家権力の横暴や世間の偏見を象徴しています。マーロウはレノックスの避けがたい運命の行方を看取りますが、それは時代の犠牲者への憐れみとも、孤独と退廃を抱える自分自身の姿(オルター・エゴ)を重ね合わせているとも解釈できます。
クールな文体、ストイックな自己規範、随所に散りばめられた知性と遊び心。読み終えた直後にも、気になる細部を読み返さずにいられない中毒性。まさに中年オヤジの心を捉えて離さない面白さ!女子供にゃ分かるまい!!(←言っちゃった)読まずに死ねるか!!!