村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【④コルシカ島の冒険】(『ワールズ・エンド(世界の果て)』より)

 本作には異国で起きた恋の逃避行の顛末が描かれます。余計な解説は野暮なことと承知しつつも、いつものように私見を交えてご紹介します。

 

《あらすじ》
先のマルセイユで、シェルドリック教授の妻はすがる彼を振りほどいて去っていった。彼女と一緒に世界がすっぽりと消えてしまった彼は、人生の一切を放り出すことにした。そして、レストランで見かけた美しいウェイトレスに目をとめると、衝動的に彼女と駆け落ちして町を出ようと決意した。

 

『一緒にここから逃げ出そう』

「君に惚れている。一緒にここから逃げ出そう」

女は彼の顔を緑色の瞳でまじまじとのぞきこんだ。この人、頭がおかしいのかしらと見定めているのだ。

 

胆すぎると思われた申し出にもかかわらず、女はすんなりと応じて教授の車に乗り込んできた。実のところ女は夫の暴力から逃れるチャンスを一年も前から待っていたという。次第に判明していく粗暴な彼女の気性に接して、教授の甘い幻想は瞬く間に消え去る。女の罵りを全身に浴びながら、傷心の逃避行が始まった!

 

【恋愛の始まりと終り】

 人は恋愛の始まりに「自分の生が持つ独自の意味」を垣間見ると言われます。例えば、恋愛の成就は過去の不遇や苦しみ、悲しみの意味が解き明かされます。同時に、生きる理由をはっきりと了解し、肯定し、愛しむことができます。

 

 その反対に、人は恋愛の終りに「生の意味の喪失」に直面すると言われます。その喪失を受け入れ、変わるべき人生の潮目を知ることで、新たな生の意味付けに向けて歩み始めることが出来ます。

 

 シェルドリック教授は「生の意味の喪失」を素通りしようとしたために、人生の見えざる意志が働いて、新たな生への道を拒まれた、というのがこの物語の教訓ではないでしょうか。こうした《人生の見えざる意志》が何処からやってくるのかについては、この連載を通じて考えていきたいと思います。

 

 それにしても、大事な人が自分から去っていくことを想像したことはありますか? もしもそうなったら、臆病な私なら激しく動揺することでしょう。悩み、もがき、苦しみ、気がふれて、この物語を上回る結末がやって来るに違いありません。いっそのこと「生の無意味化」を!・・・だから最愛なる我が妻よ。私を置き去りにしないでね(*´з`)♡

 

§追記§

 村上春樹の新作長編がこの4月に発売されるそうですね。《自称:村上主義者》の私にとってこの上ない朗報です。次作のテーマはいったい何でしょうか?『騎士団長殺し』の結末が意味深なものだったので、その続編のようなものでしょうか?いずれにしても、発売が待ちきれず気持ちが高ぶる今日この頃です。しばらくの間、このブログのテンションも高めになることをお許しください<(_ _)>