村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【哀しみの孔雀】(マイ・ロスト・シティーより)

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 本作はフィッツジェラルドの死後に発掘された作品です。

 1930年代に入ると大恐慌アメリカ全土を襲いました。ゼルダ夫人は精神病を煩い、娘の養育は男手一つに任されます。彼の著作の多くは既に絶版となり、大衆は文学に別の新たな力を求め始めます。彼が描いてきた崩壊への憧憬は厳しい現実となり、死を見つめる作家の息づかいがこの一篇に残されました。

 

《あらすじ》
事業に失敗したために収入が激減してしまったジェイソン。娘は学費のかかる私立校から公立校へと転校させた。妻は深刻な病で入院している。父親としての信頼感が薄らぐとともに、神への敬意さえも失われつつある。そうしてついに暗い破局の日がやってきた。

破局の日』

暗い破局の日がやってきた。それは青味を帯び、紫や緑を帯びた、見覚えのない暗闇であった。ある朝、食料品店の内儀が家にやってきて居間に上がり込み、うちとしてはこれ以上勘定をつけておくことはできません、と大声を出した。

 

ジェイソンが死の淵を覗き込んでいたその時、娘が通うハイスクールから電話が掛かってきます。娘が抱える問題に関わっていくうちに、彼は戦場で体験したある記憶を思い起こしていました。

 

【実存を描く作家】

 華やかな人生の表舞台から奈落の底へと転げ落ちた家族の行方を描くこの物語は、フィッツジェラルドの実人生と重なります。追いつめられた父は目の前の困難に立ち向ううちに自意識のくびきから解放され、生を求める純粋な思いを再びよみがえらせています。社会的成功を中心とする人生から、個人の生き方を重視する人生にいかにシフトチェンジ出来るか。そんな人生の多様性の課題が突きつけられているようにも見えます。

 

 優しさと傲慢さ、センチメンタリズムとシニシズム、底抜けの楽天性と自己破壊への欲望、上昇志向と下降感覚、都会的洗練と中西部的素朴さ・・・そういったものに実生活においても身を投じた彼の文学は、明らかに人間の実存を志向しながら、逆にそれを語ろうとする一切の言葉を排除します。あえて悟りを求めない禅の修行者の姿にも通じる何かがそこに感じられます。

 

 どうやらこのボクにも、フィッツジェラルド作品の真意が読めそうな気がしてきました。というわけで次回にご期待ください(^^)/