村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【UFOが釧路に降りる】(『神の子どもたちはみな踊る』より)

f:id:Miyuki_customer:20210418100203j:plain

 今回から『神の子どもたちはみな踊る』に収められた6つの作品をご紹介します。いずれの作品も「1995年の2月の出来事」という設定なのですが、その年の1月に発生した阪神・淡路大震災に深くかかわり、3月に起こる地下鉄サリン事件を予見する内容になっています。まずは奇妙なタイトルをつけられた本作から。

 

《あらすじ》
から五日後、小村が仕事から家に帰ると妻の姿はなかった。離婚書類を提出して有給休暇を申請していると、同僚の佐々木から北海道の釧路までの旅を依頼された。釧路の空港では二人の若い女が出迎える。小村が地震のあとに出ていった妻のいきさつを話すと、女の一人が「私の知り合いにも、一人そういう人がいた」と語り始めた。

 

『野原の真ん中に大きなUFOが降りてきた』

「サエキさんっていう人がいるんだ。釧路に住んでいて、40くらいで、美容師なんだけど。その人の奥さんが去年の秋にUFOを見たの。夜中に町外れを一人で車を運転していたら、野原の真ん中に大きなUFOが降りてきたわけ。どーんと。『未知との遭遇』みたいに。その一週間後に彼女は家出した。」

 

UFOの話はそれ以上の広がりをみせることもなくそれっきり。このあと小村は二人に誘わるがままにラブホテルへと向かう。彼女たちの罠にはめられたことに彼が気づいたのは、色仕掛けの籠絡が終った後だった。

 

【自己疎外】

 個性や人格が閉塞した人間関係に埋没してしまった結果、他人に対してだけでなく、自分自身に対しても疎遠な感じにとらわれてしまう状態を《自己疎外》と言います。変化の激しい現代社会で自己の主体性を失い、何事に対しても漠然とした違和感をもち、喜びも悲しみも喪失した状態は、誰でも少なからず身に覚えがあるのでは。

 

 この物語には、小村氏が《自己疎外》の果てにカルトの勧誘まがいの罠にはまっていく様子が描かれています。人の心のスキにつけこんでいく女性たち自身もまた《自己疎外》に囚われているように感じられます。

 

 例えば、『UFOに連れ去られた主婦の話』には、現実的な奥行きも想像力の働きも見出せないに薄っぺらな話にもかかわらず、彼女たちはその奇妙さを疑うことなく熱く語っています。それは、炎や、煙、瓦礫の山などの震災の映像に対する小村氏の共感の欠如となんら変わりありません。本書が描こうとしているのは、こうした無関心社会に向けられた問いかけではないでしょうか。

 

  自己の主体性を回復し他者への共感を育むにはどうしたらよいのでしょうか?

 

 それについて、この連作のご紹介を通じて私なりに考えてみたいと思います。震災当時の状況を知る人もそれを伝え聞く人も、ご一緒にその答えを探してみませんか。