村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【UFOが釧路に降りる】(『神の子どもたちはみな踊る』より)

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 今回から、『神の子どもたちはみな踊る』に収められた6つの作品をご紹介します。これらの作品はずべて「1995年の2月の出来事」という設定ですが、その年の1月に発生した阪神・淡路大震災に関連し、3月に起こった地下鉄サリン事件を予見する内容になっています。まずは奇妙なタイトルをつけられた本作からご紹介します。

 

《あらすじ》
から五日後、小村が仕事から帰宅すると、妻は姿を消していた。離婚届を提出し、有給休暇を申請している最中、同僚の佐々木から北海道の釧路までの旅を依頼された。釧路の空港では、若い女性二人が小村を出迎える。小村が地震の後に出ていった妻の経緯を話すと、そのうちの一人が「私の知り合いにも、一人そういう人がいた」と語り始めた。

 

『野原の真ん中に大きなUFOが降りてきた』

「サエキさんっていう人がいるんだ。釧路に住んでいて、40くらいで、美容師なんだけど。その人の奥さんが去年の秋にUFOを見たの。夜中に町外れを一人で車を運転していたら、野原の真ん中に大きなUFOが降りてきたわけ。どーんと。『未知との遭遇』みたいに。その一週間後に彼女は家出した。」

 

UFOの話はそれ以上の広がることもなく、それで終わり。その後、小村は二人に誘わるがままにラブホテルへと向かう。彼女たちの罠にはめられたことに気づいたのは、色仕掛けの籠絡が終った後のことだった。

 

【自己疎外】

 個性や人格が閉塞した人間関係の中で埋没し、他人に対してだけでなく、自分自身に対しても疎遠な感覚を抱く状態を《自己疎外》と言います。現代社会の急激な変化の中で、自己の主体性を失い、何事に対しても漠然とした違和感を抱き、喜びも悲しみも感じられなくなる状態は、誰でも少なからず経験しているのではないでしょうか。

 

 この物語では、小村氏が《自己疎外》の末に、カルトの勧誘まがいの罠にはまっていく様子が描かれています。人の心のスキにつけ込む女性たち自身もまた、《自己疎外》に囚われているように見えます。

 

 例えば、『UFOに連れ去られた主婦の話』は、現実的な深みも想像力も欠けた薄っぺらな話にもかかわらず、彼女たちはその奇妙さを疑うことなく語っています。それは、震災の映像に対する小村氏の共感の欠如となんら変わりありません。本書が描こうとしているのは、こうした無関心社会に向けられた問いかけではないでしょうか。

 

  自己の主体性を回復し、他者への共感を育むにはどうしたらよいのでしょうか?

 

 この連作のご紹介を通じて、その答えを考えてみたいと思います。震災当時の状況を知る人も、それを伝え聞く人も、ご一緒にその答えを探してみませんか。