村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【アイロンのある風景】(『神の子どもたちはみな踊る』より)

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 今回も奇妙なタイトルのついた作品のご紹介です。『アイロンのある風景』とは鹿島灘の小さな町に住む三宅さんが、阪神・淡路大震災の直後に描いた絵のタイトルです。「流木が燃える冬の海岸」「全てを一瞬で壊滅させた地震」「部屋の隅に置かれたアイロン」 この不思議な取り合わせが導いた結末について考察してみたいと思います。

 

《あらすじ》
1995年2月のある晩に三宅さんから焚き火の誘いの電話がかかってきた。順子は啓介と共に浜に向かい、いつものようにジャック・ロンドンの『たき火』のことを思う。その物語の中で何よりも重要なのは主人公の男が死を求めているという事実。腹が痛いと言って啓介が帰った後で、三宅さんはおもむろにそのジャック・ロンドンについて語り始めた。

 

『真っ暗な夜の海で』

ジャック・ロンドンは真っ暗な夜の海で、ひとりぼっちで溺れて死んだ。アルコール中毒になり、絶望を身体の芯までしみこませて、もがきながら死んでいった。予感というのはな、ある場合には一種の身代わりなんや。ある場合にはな、その差し替えは現実をはるかに超えて生々しいものなんや。」

 

ャック・ロンドンが身代わりにしたものの正体は不明だが、三宅氏がその話をした理由は物語の断片をつないでいくことで浮かび上がる。震災の地である神戸の東灘区に残してきた妻と二人の子どもたちへの負い目。彼はその代償として、狭い冷蔵庫に閉じこめられて死んでいく悪夢に苦しめられ続けていた。

 

【先駆的決意性】

 哲学者のハイデガーによれば、死の覚悟をもつ者だけが《良心の呼び声》を聴くといいます。そして、自分の死に向かって決然と生きていくことを、彼は《先駆的決意性》と名付けました。

 

 人生の目的は幸福を追い求めるだけとは限りません。それと同じか、あるいはそれ以上に、私たちは「真に人間らしくありたい」と望んでいるのではないでしょうか。死を受け入れようと決意するときに、そのような純粋な想いが結晶化するというハイデガーの考えにはうなずけるものがあります。

 

 この物語には、啓介や順子との対話を通じて、電源を切ったアイロンのように冷え込んだ三宅さんの心が、温もりを取り戻していく様子が描かれています。罪の代償に抗し続ける人生と死への憧憬。最後に三宅さんが死を持ち掛けると、順子は素直に応じてみせます。その時、二人の心に《良心の呼び声》は響いたか? その答えは読者自身の想像に委ねられます。

 

§追記§

 村上春樹原作の『ドライブ・マイカー』がアカデミー賞の国際長編映画賞を受賞しました。まるで自分のことのように嬉しいです。近いうちにこのブログでも作品のご紹介をしたいと思います。濱口監督おめでとうございます!ヽ(^o^)丿