村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【蜂蜜パイ】(『神の子どもたちはみな踊る』より)

 今回は短編集に収められた最後の作品についてご紹介します。この作品では文体のリアリズムが一段と増していて、登場人物の淳平がこの短編集の先の五篇を創作したという設定も考えられます。それでは、本書の最後の考察をご一緒に。

 

《あらすじ》
庫県西宮出身の淳平は、両親に偽って早稲田の文学部に入学し、小説家を目指した。同じ学部で出会った高槻と小夜子は卒業後に結婚し、沙羅という娘を授かるが、2年前に離婚した。密かに小夜子に恋心を抱いていた淳平は、結婚を申し込むことを真剣に考え始める。そんな折、阪神淡路大震災が発生。地震のニュースを見すぎて沙羅が寝られなくなったと、小夜子は淳平に相談を持ち掛けてきた。

 

地震男』

「それは地震男なの。その男が沙羅を起こしに来て、小さな箱の中にいれようとするの。とても人が入れるような大きさの箱じゃないんだけど。それで沙羅が入りたくないというと、手を引っ張って、ぽきぽきと関節を折るみたいにして、むりに押し込めようとする。それで沙羅は悲鳴を上げて目を覚ますの」

 

平は沙羅を落ちつかせるために、その場で即席のお話を聞かせた。沙羅がベッドに戻って再び眠りについたのは夜中の2時前。寝ずの番をしながら、淳平は自分の中を通りすぎていった長い時間について熟考し、そして、一つの決意を固めた。

 

【箱ひとつ分の世界】

 オウム真理教の問題について、村上春樹は次のように語っています。

 

「オウムの人たちは、口では『別な世界』を希求しているにもかかわらず、彼らにとっての実際の世界の成立の仕方は、奇妙に単一で平板なんです。あるところで広がりが止まってしまっている。箱ひとつ分でしか世界を見ていないところがあります」(『約束された場所で』より)

 

 ここで言う《箱ひとつ分の世界》とは、閉塞的な環境に埋没して自己の主体性を見失うことを意味します。自己疎外感から抜け出せなくなったり、独善的なドグマに取り込まれたりする状況を表しています。

 

 これまでご紹介した本書の作品で言えば、『からっぽの箱(=疎外感)』を抱えて漂泊する小村や、『狭い冷蔵庫(=罪悪感)』に押し込まれる三宅の悪夢がそれです。義也は自立した精神によって『自己を拘束する箱(=ドグマ)』から抜け出そうとし、さつきは憎しみを封印して『箱(=固定観念)の外部』に繋がる日を待ち望みます。『終末思想の箱』に囚われた片桐は、心の中の悪を文学的に昇華させました。

 

 本作では、愛する人を『地震男』から護ろうとする淳平の決意が語られています。幼い沙羅を『小さな箱』に閉じこめる『地震男』が何を意味するのか、私には読み解くことができませんが、そこには私情のあからさまな表出を避けてきた作者にしては珍しく、震災と向き合おうとする決意が感じられます。やはり、震災の甚大な被害の中心部であった兵庫県西宮市のご両親の被災が影響しているのではないでしょうか。

 

 蛇足ですが、この作品以降、村上春樹は社会に主体的にコミットしていく姿勢を強めています。かつてはスランプの原因にもなった世間のバッシングをものともせず、社会問題や戦争責任について言及するようになりました。そして長い創作活動のその先で、父親の村上千秋氏との和解に至るのですが、それについてはまた別の機会に。