村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ティファニーで朝食を】

 第二次大戦下のニューヨークを舞台に、社交界を自在に遊泳する女性のライフ・スタイルが描かれます。粋な会話と端正な文章、高尚な人生観から猥雑な不道徳まで、すべてがドラマチック。オードリー・ヘップバーンが主演した映画とは、ひと味もふた味も違う小説世界をご紹介します。翻訳はもちろん村上春樹

 

《あらすじ》
け出しの小説家である僕は、マンハッタンの同じアパートメントの住人であるホリー・ゴライトリーと友人になった。彼女は金持ちの男性と交際することで生活している。うさん臭さがプンプン漂うものの、僕は彼女の奇妙な生き方にいつしか魅了されてしまった。

 

『自分のままでいたいの』

「リッチな有名人になりたくないってわけじゃないんだよ。私としてもいちおうそのへんを目指しているし、いつかそれにもとりかかるつもりでいる。でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。」

 

功と引き換えに自分を失うなどまっぴらごめん。惨めな生い立ちもなんのその。いつか兄のフレッドとメキシコで馬を育てながら生活することを夢見ている。そんな慎ましい言葉とは裏腹に放蕩生活が続いていく。そんなある日、突然の訃報が彼女のもとに届いた。

 

【カフェ・ソサエティ小説の古典】

 カポーティは若くして華々しく文壇デビューを果たし、次々と話題作を世に送り出しました。彼は同時代のサリンジャーと並んで、戦後輩出したもっとも有能な若手作家としての地位を確立しています。しかし、サリンジャーがエゴにまみれた階級社会を嫌悪したのとは対照的に、カポーティは階級社会の頂点でセレブ生活を謳歌しました。

 

 《カフェ・ソサエティ》とは19世紀終わりに始まったファッショナブルなカフェやレストランに集う「華やか」で「将来有望な若者達」を指す言葉です。カポーティの母はそうした社会階層にあこがれて奔放な生き方を送った人でした。幼いころからその世界に接することで醸成された精神は、時代を超えて読み継がれる《カフェ・ソサエティ小説》の古典的作品を生み出しました。

 

 セレブを夢見るホリーはカポーティの母親、ホリーを見守る語り手の『僕』はカポーティその人と重なります。映画では二人のラブ・コメディが描かれますが、実際のカポーティは自分がゲイであることを公言しており、小説の中でもホリーと『僕』の仲は恋愛に発展したりはしません。最終的に自死を遂げた母と彼の荒廃した晩年を思えば、このおとぎ話の中に、ままならない人生への希望が託されているように感じられます。