村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【①巨大なラジオ】(『巨大なラジオ/泳ぐ人』より)

Amazonより

 アメリカ短篇小説の名手と言われたジョン・チーヴァーの作品をご紹介します。チーヴァーはニューヨーク近郊に暮らす中産階級の人々の人生の悲哀を描きました。細部を緻密に描写するそのタッチ。リアルな日常がいつしか幻想に代わる構成力。彼の作品には短編小説の醍醐味が詰まっています。

 

『プライバシーの漏洩』

 アパートの12階で平穏な暮らしを営むジムとアイリーンの夫婦。買ったばかりのラジオに雑音が混じるので業者を呼んで修理すると、雑音は感度を高めて人の声を捕らえ始めた。声の正体は同じアパートに暮らす住民たちの会話。盗聴器と化したラジオは、他人のプライバシーを漏洩し続けた。

 

「ああ、とても恐ろしいことだわ。とてもたまらない」とアイリーンはむせび泣きながら言った。「一日これを聞いていて、気持ちがすっかり落ち込んでしまった」「気持ちが落ち込むのなら、そんなもの聞かなければいいじゃないか。僕がこのラジオを買ったのは、君が愉しんでくれると思ったからだ」と彼は言った。

 

 住民たちのあからさまな言葉は、アイリーンの心を揺さぶって離さない。そこで再び修理をするとラジオは正常な状態に戻る。しかし、入れ替わるようにしてジムが妻の封印された醜い過去をあげつらい始めた。こうして平穏だったはずの彼女の暮らしは、奈落の底に引きずり込まれていく。

 

中産階級の抱える不安】

 アイリーンはグロテスクな秘匿情報を大量に吸収することで、深刻な無力感に襲われます。一部の週刊誌やワイドショーが報じる不道徳やプライバシー侵害が及ぼす心理的悪影響についてはたびたび議論になりますが、1950年代を舞台としたこの時代にもそうした問題が認知されていたことが伺えます。

 

 チーヴァーは当時の比較的裕福な生活を送る中産階級の読者に向けて、彼らの抱える漠然とした不安を物語の形にして見せました。それは今読み返しても心に響く普遍的な寓意を有しています。ピュリツァー賞や全米批評家協会賞を受賞した名作でありながら、明快で読みやすい作風も本書の特徴です。描写や構成といった文章力に長けた作者の力量によるものでしょう。

 

 さて、今回から本作を含む18編のチーヴァー作品をご紹介していきます。有害な情報が大量に出回る現代では、良質な物語に触れて心を耕していくことはとても大切なことではないでしょうか。本ブログも粗雑な解釈で消化不良を起こさないよう極力気を付けながら記述していきます。どうぞよろしく。