村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑧合図をしたら】(『頼むから静かにしてくれⅡ』より)

Amazonより

 今回ご紹介するのは、妻の誕生日に新しくできたエレガントなレストランへ出かけた夫婦の話です。夫婦仲を立て直そうとする夫と、それにあまり乗り気ではない妻のビミョーな関係が描かれます。

 

『すべてはあなた次第よ』

「我々はこういう機会をもっとちょくちょく持つべきだね。」と彼は言った。彼女は肯いた。「ときどき外で食事するのもいい。もしそうしてもらいたいのなら、僕はもっと努力するけれど」彼女はセロリに手をのばした。「すべてはあなた次第よ」「それは違うだろう!なにも僕がやったわけじゃ・・・その・・・」「何をやったのよ?」と彼女は言った。

 

人の会話や振る舞いから、夫の不貞を疑う妻という構図が見て取れる。終始ふてくされた態度をとる子供のような夫に対し、レストランオーナーのアルドは気配りのできる大人の男で、二人の人物像が対照的に描かれる。

 

【新たな文学の景色】

 本作はすっかりお馴染みとなった「情けない男エピソード」です。悩める主人公は八方ふさがりの夫婦生活に陥って、後にも先にも希望の出口は見当たりません。こうした状況を作り出した事情は一切説明されません。むしろ説明されないことによってその雰囲気が伝わるという独特の妙味を読者は味わい、クスリと笑った後で、なんとなく我が身を振り返って身につまされます。

 

 物語の中で、妻は紳士的なアルドの振舞いを引合いにしながら、手厳しい言葉を夫に投げかけます。それに対して夫は返す言葉もないために葛藤を抱え込む。それは月並みな日常の場面であるにせよ、文学界にカーヴァーが登場するまでは誰も描くことの出来なかった景色でした。この言葉を奪われた生活者の孤独や絶望の景色の発見が、文学を新たなステージに導いたとされます。

 

 さて次回はいよいよ最終話の『⑨頼むから静かにしてくれ』です。3ヵ月に渡ってご紹介してきた今回のしめくくりであり、2年越しとなった『頼むから静かにしてくれⅠ・Ⅱ』の完結版になります。心して臨みますので、最後まで読んで下されば幸いです。