村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ナイト・スクール】『頼むから静かにしてくれ』より

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 本作には結婚生活の崩壊した惨めな男が登場します。崩壊の後に男の心に訪れたのは、望みなく、慰みもない虚無の闇。彼に関わる人々はみな失望し、苦言を呈して立ち去ります。そのあまりに取り付く島のない状況は、逆にシニカルで滑稽でさえあるのですが、どこか見覚えのある光景のようにも感じられます。

 

《あらすじ》
の結婚生活は崩壊し、職も失い両親の家に居候している。バーで出会った二人の女が、知り合いの家まで車を出してくれないかと声をかけてきた。ビールをご馳走になったので、両親の車をあてに自宅まで招待するが、約束を反故にして閉じこもり、彼女らが捨て台詞を吐きながら立ち去るのを黙って見送った。そして今、アルコールのまわった頭で、妻と交わした会話をぼんやりと思い浮かべている。

 

『そんなのただのお話じゃない』

その話をしながら、自分の顔が血でほてるのが感じられた。そして頭の皮がぴりぴりとした。でも彼女はその話に興味を抱かなかった。「そんなのただのお話じゃない」と彼女は言った。「自分の家族の中の誰かに裏切られること、そこにこそあなたにとっての本物の悪夢があるわよ」

 

る小説に描かれた悪夢について「私」が熱っぽく語っている場面です。そんなものに全く興味のない妻の反応は素っ気ないものでした。そして彼女が言うように、現実は小説を凌ぐ悪夢をもたらしました。

 

【見覚えのある景色】

 カーヴァーの文体は、大学の創作クラスで手ほどきを受けながら作り上げられたものです。後に《ミニマリズム》と呼ばれる手法は編集者のアイデアから誕生しました。彼の創作の背景には、文豪と呼ばれる人達が持つような神話性は感じられません。ごく普通の隣人に近い目線でカーヴァーの作品は形成されています。

 

 しかし、生活に密着した即物的ともいえるリアリティには、芳醇なナラティブ(物語)を含んでいた、私たち読者はそこに「どこかで見かけた景色」という接点を見出すことが出来ます。それは過去の記憶であったり、どこかで読んだ物語であったり。謎に満ちた《カーヴァー・タウン》で生じていたのは、要するにこういう事ではないでしょうか。

 

  言葉のリアリティが私たちの想像力を刺激し、心の奥底の物語を呼び覚ます

 

 物語と記憶のあいだを行き来するうちに、いつの間にか心の滋養に浴しています。そんな言葉では表し難い精神と身体に及ぼす感覚が、物語に浸るひとときを特別なものにしてくれました。

 

 作品のご紹介は余すところあと3作ですが、私が言い残している事柄も残りわずかとなりました。このあとは少し肩の力を抜いて理屈は控えめに、作品の面白さに身も心も委ねながら締めくくりたいと思います(^^)/