村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ライド】(『バースデイ・ストーリーズ』より)

 著者のルイス・ロビンソンは、この短編集に作品が選定された当時は30歳を過ぎたばかりの若手作家でした。サザビー専属ドライバーやウニ取り潜水夫、トラック運転手などを経て、現在はメイン大学の教員を務める異色の経歴の持ち主です。親友、恋人、親子などの関係を緻密に描く手法は、古典的であると同時に現代的感性を含んでいると言われています。

 

《あらすじ》
16歳の誕生日を迎えたその日、オールデンは離れて暮らしている父親の運転する長距離トラックに同乗していた。トラックの荷台にはメトロポリタン美術館の収蔵品が積まれている。父親は配達目的地へは向かわず、モントリオールからやって来る密売人に会おうとしていた。彼は一山当てるつもりでいたのだ。しかし、いつまで待っても密売人は現れない。

 

『ちょっとまずいんじゃないの?』

「それって、ちょっとまずいんじゃないの?」とオールデンは言う。「まかせとけって、誰にも見えやしないさ、オールディー。心配することはない」「このまま引き返した方がいいと思うよ、父さん。ものごとがこれ以上ややこしくならないうちに」

 

親は自ら盗品をモントリオールに持ち込もうとして、輸入品検査所で引きとめられた。オールデンの機転によって二人は難を逃れ、アメリカに引き返すことが出来たのだが、実はそのゴタゴタのさなかで、オールデンは父親を置いて逃げる画策をしていた。

 

【二世問題】

 元来アメリカの家族は厳格な宗教観のもとで結ばれていましたが、1960年代台以降の公民権運動、フェミニズム運動、カウンターカルチャーなど、個人の意思決定や自由・平等・多様性が尊重される社会風潮のなかで価値観の崩壊が進行します。また、著しく偏向した家庭環境は、子供に多大なストレスをもたらし、いわゆる《二世問題》を引き起こしていました。

 

 移民大国のアメリカでは、日系二世を指す言葉はそのまま”Nisei”と英語表記されています。そもそも《二世問題》とは、移民の子どもが生まれながらに抱える境遇を指していて、《宗教二世》や《フェミニズム二世》などの呼称は、それらが《移民二世》と同じ根を持つという問題意識から派生していったと考えられます。

 

 物語の主人公である少年は、父母の離婚で不遇をかこってきたにもかかわらず、父が昔行った『善き行為』と自分が『その一端を担った』誇らしい記憶が忘れられません。そのため一時的であるにせよ、犯罪を犯す父から逃げ出そうとした自分に対して処罰感情を抱いてしまいます。こうした両親の離婚が引き起こす負のループも、《二世問題》の系譜が感じられ、少年の未来に暗い影を落としています。

 

 片親家庭に対して《ΟΟ二世》というような安易なレッテル貼りをするつもりはありませんが、家庭崩壊が進むアメリカならではの問題意識がクローズアップされています。そしてここにも、リアルな市民感覚というポストモダン文学以降の特徴が見られます。ついでながら、こうした過去の文学的背景から切り離された作品群は、《リバタリアニズム(自由至上主義)文学》とも呼ばれています。

 

 さて、『バースデイ・ストーリーズ』に残された最後の1作は、お待ちかねの村上春樹本人の作品です。単独で書籍化されたり国語教材になったりしていますが、これを本短編集を総括する作品としてご紹介してみたいと思います。