村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑦来たれ、汝、芸術の子ら】(『最後の瞬間のすごく大きな変化』より)

 『来たれ、汝、芸術の子ら』は英国の女王メアリー2世の誕生日を記念して作曲されました。清々しい朝にふさわしい明るい雰囲気の名曲です。ところが本作ではその曲の登場に先だって、朝の寝床で夫が妻に語りかける愚にもつかない会話から始まります。

 

《あらすじ》
ッドの上に寝そべってジェリーはキティーに語りかけている。ニュージャージー大司教管区を牛耳るろくでなしのザンダキスについて。そのかげで金儲けしているグラッドスタインの哀れな先行きについて。さらにその下で自分のやっているビジネスと呼ぶには程遠いちんけな商売について。ジェリーはうそぶいてみせる、神様について俺は夢見るんだと。

 

『それがうまい手なんだ』

なあキティー、お前みたいな人柄なら、きっと何か商売を始められるよ。たった一年でいいから、何か売り買いするんだ。それがうまい手なんだ。

 

ェリーが考えるうまい手とは、抜け目のない姉貴のようなやり口を指す。それは銀行マンを騙して巨額の融資を引き出してビルを建てた、という嘘か本当か分からない逸話。ひとしきり話して憂さを晴らした彼は、ろくでなしのザンダキスも、哀れなグラッドスタインも、神様のことさえも、今ではどうでもよくなった。

 

【理想の男性像】

 ある情報サイトに《理想の男性像》が出ていたので列挙してみます。

「顔立ちが整っていてイケメン」「身長が高い」「誠実な性格で一途に彼女を思ってくれる」「裏表がなく嘘をつかない」「誕生日や記念日や盛大にお祝いしてくれる」「辛い時や落ち込んだ時になぐさめてくれる」「社会的地位の高い仕事に就いている」「高収入でお金持ち」(Smartlog『女性が思う“理想の男性像”とは?』より)

 

 《理想の男性像》の条件が一つとして当てはまらないのは私だけでしょうか?重度の誇大妄想癖と自己顕示欲にまみれた私の取るに足らない毎日を、妻はあーだこーだと言いながらも支えてくれます。そんな日常が人様の目にどう映ろうが、私たち二人は互いに理想の夫婦です('ω')

 

 本作では朝の寝床で男が女に与太話を聞かせています。どうやらこれは二人の間のお決まりのシチュエーションみたいです。女が慣れた調子で相槌を打つうちに男は機嫌を取り戻し、身重の彼女に代わって朝食を作り始めます。焼き立てのベーコンとワッフルの香りがキッチンから漂い、ラジオからは『来たれ、汝、芸術の子ら』の旋律。ここに描かれているのは、私たち夫婦と同じ、お気楽カップルの日曜日の一コマでした。

 

【これまでのおさらい】

 グレイス・ペイリーの短編集から7作品をご紹介してきましたが、本ブログでは異例の長期連載になりましたので、これまでのおさらいをしておきます。

 

 本書の特徴は、作者本人の多様な側面が登場する《フェイスもの》と市井の人々に焦点をあてた《民間伝承もの》が交互に描かれることです。フェミニズムの活動家らしく社会問題を切り口にしていますが、グレイスは小説家としての矜持によって自前のプロパガンダを封じ、登場者の視点をつぶさに描くことに徹しています。

 

 例えば、本作⑦は「夫の視点」でしたし、前作⑥は「妻の視点」でした。さらに「⑤息子の視点」「④娘の視点」「③母の視点」「②友人の視点」「①作者の視点」という風に作品ごとに書き分けられています。これまで繰り返しコメントしてきましたが、いずれもどこかしら歪んだものの見方を抱えています。

 

 この歪んだ視点の総体が映し出そうとしているものは何なのでしょうか? そして、この歪みは最後の瞬間に大きな変化をもたらすことが出来るのでしょうか? 残り10作品を通じて考えてきたいと思います。引き続きお付き合い頂ければ幸いです。