村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【永遠に頭上に】(『バースデイ・ストーリーズ』より)

 作者のデイヴィッド・フォスター・ウォレスはニューヨーク出身の作家で、挑発的な文体と内容で注目を集め、ポストモダン文学の旗手の一人と呼ばれました。また、オタク気質を抱えながら若者達を指南する伝説的スピーチを残すなど、一筋縄でいかない人物でもあります。双極性障害に生涯悩まされ続け2006年に46歳で他界。死因は自殺とされています。

 

《あらすじ》
13回目の誕生日を迎える少年の心と身体には、いくつかの重要な変化が訪れている。脇の下に生えた毛。深みを増した声。悩ましい眠りの中の夢精。少年の希望で、その日の午後に彼は家族と共にプールにやってきた。少年はできれば一人で来たかった。ある一つの挑戦をやり遂げるために。

 

『さっさと上って、実行してしまうんだ』

誕生日おめでとう。それはでかい一日だ。南西部の頭上に広がる天蓋よりでかい一日だ。君はそのことについてじっくり考えた。あそこに飛び込み台がある。もうすぐみんなは引き上げようと言い出すはずだ。さっさと上って、実行してしまうんだ。

 

のあと、少年は大人たちに混じって飛び込み台の最上段に登っていく。そこからプールにダイブするまでの少年の心は、次第に不可解かつ自閉的な妄想を巻き込みながらその瞬間へと進んで行く。

 

【教養文学の終焉ふたたび】

 本作を読んでいると、先の《教養文学の終焉》という問題について再び考えさせられます。現代社会では普遍的な真理や、理想を正当化する価値観が崩壊していて、精神が空洞化しつつあるという例の問題です。

 

 一般的に教養は人の知識・常識を測り、社会的信用を作り出し、品位や人格を育むとされてきました。しかし、1970年代以降世界的に流行したポストモダン思想の潮流のなかでその自明性は揺らぎます。社会の多様化によって、人々の間に共通する包括的な価値観が消失したことが原因とも言われます。文学においても、過去に積み上げられた形式や理念を徹底的に解体する運動が起こりました。

 

 本作では、少年が飛び込み台の先端にこびりついた人々の足跡を見つめながら、その先の跳躍をためらう場面が描かれます。当然のことながら、いくら人々の足跡を見つめたところで、そこには何の意味も答えも見出すことはできません。かと言って後戻りもできない瀬戸際で、少年は大きな決断を迫られます。

 

 私にはこの『こびりついた人々の足跡』が、過去の文学が刻んできた痕跡を象徴しているように思えてなりません。それを踏み越えた先にあるものが何であれその先に進むしかない! そんな作者の熱い想いが感じられます。

 

 さて、この《教養文学》の解体を目的とした次なる文学が何を発見し、何を生み出したか気になるところではありますが、この短編集の後半でご紹介できればと思っています。今回はここまで。