【要旨】
- 容姿の醜さを強みにする奇特な女性は、驚くべき二面性を抱えていた。
- 「シューマンは、人々のそのような複数の顔を同時に目にすることができた------仮面と素顔の両方を」と彼女は語る。
- いま、青年期の心にしまっていたほろ苦い思い出が激しく僕の心を揺さぶる。
『醜い容貌を持つ女性』
彼女は、これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性だった。---というのはおそらく公正な表現ではないだろう。彼女より醜い容貌を持つ女性は、実際には他にたくさんいたはずだから。
フェミニストを刺激しかねない大胆な語り口で物語は始まります。不安を覚えつつ読み進めていくと、意外にも容姿の醜さを上まわる彼女の魅力が描かれて一安心です。そんな彼女との交流に「僕」は『ささやかな誇り』さえ感じています。
『仮面の下の素顔』
悪霊の仮面の下には天使の素顔があり、天使の仮面の下には悪霊の素顔がある。どちらか一方だけということはあり得ない。それが私たちなのよ。それがカルナヴァル。そしてシューマンは、人々のそのような複数の顔を同時に目にすることができたーーー仮面と素顔の両方を。
彼女が語るシューマンの『謝肉祭』の解説はなかなか秀逸です。そして彼女自身の驚くべき二面性が露見する出来事がこの作品のクライマックス。特異な容貌の吸引力は、引き寄せられた人々を罠にかけるために使われていたのです。
【魑魅魍魎の入口】
物語の終盤で、「僕」は大学生時代のほろ苦い思い出を振り返ります。ダブル・デートに現れた容姿のぱっとしない女の子は、実は別の子の代用でした。後でその彼女から謝罪を受けますが、この時「僕」の心に、このままではいけないという正義感がこみ上げます。しかし、彼女との交流はそれきりに。
冒頭に触れた『ささやかな誇り』は、このほろ苦い思い出に端を発していたのかもしれません。そうだとすれば、仮面をかぶった魑魅魍魎の世界に繋がる入り口は、この小さな思い出にあります。つまり、「僕」は引き寄せられるべくして「仮面の世界」に引き寄せられて行ったということでなないでしょうか。
人生は一見すると使い道の無い記憶が積み重ねられて出来ているように見えます。それでも時に、何気ない小さな記憶が深い意味を投げかけるとき、ボクたちは驚きを持ってそれを振り返り、見えざる意志の存在を感じとります。
この作品のもつ没入感は、短編集『一人称単数』のなかでもピカイチです。読み始めたら止まらないワクワクと緊張と不安。あっと驚く謎解きが、単なるミステリーや都市伝説で終わらないのは、やはりこの作家のもつ深い知性と高いモラルのなせる技ではないでしょうか。