【要旨】
- 少年時代の最も輝かしく、最も祝福された出来事が、生涯を通じて僕を野球場へと導いた。
- 試合開始直前の球場には、まっさらな筋書きの予感と共に、歓声やため息や怒号が怠りなく用意されている。
- プロのステージで戦うことの孤独と厳しさに、僕の胸は静かにうずく。
『日米親善試合の記憶』
9歳の秋に日米親善試合で客席に投げ入れられたボールが主人公の「僕」の膝の上に落ちてきたときのエピソードが語られます。その時、父親は半ばあきれたみたいに、半ば感服したみたいに「僕」を讃えたといいます。
僕はその、膝の上に落ちた白いボールを大事に家に持って帰った。でも覚えているのはそこまでだ。あのボールはどうなったのだろう?それはいったいどこに仕舞い込まれてしまったのだろう?
この作品は僕を数奇な人生へと導いた小さな思い出のかけらを振り返る物語です。
『天文学的な数の負け試合』
東京に出てきた村上春樹は1968年にサンケイ・アトムズのファンとなり、以来約10年の間に「天文学的な数の負け試合」を目撃します。『海流の中の島』という詩には、甲子園球場の外野席で対戦相手のタイガース・ファンに囲まれながら、懸命に応援している様子がアパッチ砦になぞらえて描かれています。
そして今、ここで僕は 力を持てあました、凶悪な 縞柄のインディアンたちに囲まれ ヤクルト・スワローズの旗のもと 悲痛な声援を送っている。 故郷からずいぶん遠く離れてしまったものじゃないか、と 海流の中の知さな孤独な島で 僕の胸は静かにうずく。
歓喜やため息や怒号が入り混じったプロ野球に注がれる容赦のない洗礼の数々。ここに描かれている情景を、もはや単なる野球観戦のワン・シーンとして見ることはボクにはできません。かつては日本文学界で集中砲火を浴び、現在は世界のステージで孤軍奮闘し続ける作家の姿がそこに浮かび上がります。
【まとめ】
村上春樹がヤクルト・スワローズのファンであることは偽りのない事実のようですが、『ヤクルト・スワローズ詩集』が本当に存在したかどうかは怪しいところです。
それでも、そんな洒脱なホラ話も含めて、本作に充溢している自由でリラックスした語り口に久々に出会えたことは、彼のファンとして嬉しい限り。