村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【冬の夢】(『冬の夢』より)

Amazonより

 本作は、大志を抱いた青年が上流階級の女性の愛を勝ち取ろうとする物語です。フィッツジェラルドの代表作の一つであり、若さゆえの幻想が失われる様子が描かれています。

 

 物語の主人公デクスターは、ミネソタ州の田舎に生まれた中流階級の青年で、エリートの仲間入りを夢見ています。彼はお金を稼ぐために、地元のゴルフクラブでキャディーとして働いていましたが、そこで上流階級の美しい娘ジュディと出会います。

 

 大学を卒業後、デクスターはランドリービジネスで成功し、富を築きます。ある日、かつてキャディーとして仕えた男性からゴルフに誘われ、そこでジュディと再会します。彼女は以前よりもさらに美しくなっていました。

 

『間違いのないところから』

「ねえ、間違いのないところから出発しましょう」、彼女は唐突に自分の話を自分で打ち切って、そう切り出した。「あなたはいったいどういう人なの?」少しのあいだデクスターは言葉を失った。それから言った。「僕は名のある人間ではありません」と彼は告げた。「僕はいわばこれから道を拓いていこうとしている人間です」「あなたは貧乏なの?」「貧乏じゃありません」と彼は率直に言った。「僕の年代で、この北西部で、僕より多くの稼ぎを得ている人間はおそらくいないでしょう。こんなことを口にするのは品の良いことじゃありませんが、あなたが間違いのないところから始めたいと言ったものだから」

 

 この後、デクスターはジュディと口づけを交わし、さらに強い欲望が芽生えます。彼は地元でゴルフキャディーをしていた少年時代からずっと、ジュディを手に入れたいと願っていたことに気づきます。

 

弁証法メタフィクション

 本作は、野心に基づく恋愛が順風満帆な時もあれば逆境にも見舞われながら、青年の心を成熟させていく過程を描いています。読者は、このドラマチックな物語を楽しんだ後で、作品に隠された構造や意味を再考することになるでしょう。

 

 例えば、この作品に描かれている特異な恋愛について。虚栄心に始まった恋愛が描かれていますが、恋愛とは、どのような形であれ、究極的には美を追い求める情熱に根ざしているのではないでしょうか。美がどのように、どのような心の状態で求められるかによって、さまざまなタイプの恋愛が生まれると考えられます。

 

 デクスターの恋愛感情は急速に深まっていきます。そこには、美に取り憑かれた人間が、モラルの葛藤に悩みながらも、弁証法的に成長していく姿が描かれています。その成長の果てに、『冬の夢』に殉じることによって、デクスターの心は生きながらにして一つの死を迎えます。

 

 このような幻想的な恋愛を描くことで、フィッツジェラルドは日常の中に隠された人間の本質を浮かび上がらせています。読者はこの作品をメタフィクションとして捉え直すことで、人の情熱の奥底に美への尽きない願望が潜んでいることを、改めて発見することになるでしょう。

 

 主人公が成長していく弁証法的なプロセスと、自己言及的な物語が示唆するメタフィクション。この《弁証法メタフィクション》とも呼ぶべき文学的手法は、フィッツジェラルドが20代半ばの若さで、その溢れる才能によって生み出したものです。こうした手法は、村上春樹の作品の中にも受け継がれているように感じますが、皆さんはどうお考えでしょうか。

 

 さて、次回もフィッツジェラルドの短編作品の魅力をご紹介します。引き続きよろしくお願いします。