この連作には、独特の印象を放つキーワード《博物館》《要塞》《空中庭園》が登場します。一見するとバラバラにも思える3つの物語の繋がりを読み解いてみたいと思います。
『冬の博物館としてのポルノグラフィー』
セックスが、潮のように博物館の扉を打つ。柱時計が午前十一時の鋭角を刻む。冬の光は床を舐めるように低く、部屋の中心にまで届いている。僕はゆっくりとフロアを横切り、かけがねをはずし、扉をあける。
「僕」はセックスについて考えるときはいつも、《冬の博物館》で本能の下僕として働いている姿を思い描く。そこで「僕」は孤児のようにうずくまって温もりをもとめている。
『ヘルマン・ゲーリング要塞 1983』
要塞の中には二千人のSS戦闘部隊が何ヵ月もたてこもれるだけの食料と飲料水と弾薬が常に配備されていた。秘密の地下道が迷路のごとくめぐらされ、巨大なエア・コンディショナーが新鮮な大気を要塞の中に送り込んでいた。たとえロシア軍・英米軍が首都を包囲しようとも我々は敗れることはない、とヘルマン・ゲーリングは豪語した。
ロシア軍の激しい攻撃に耐えぬいたという《ゲーリング要塞》。しかし、ゲーリング率いるナチス親衛隊は壊滅し、ゲーリング自身もニュルンベルク裁判中に服毒自殺を遂げた。
『ヘルWの空中庭園』
空中庭園のサイズはおおよそ縦8メートル、横5メートルというところだ。それは、空中庭園であることをべつにすれば、まるで普通の庭と変わるところがなかった。というかそれは地上の基準からすれば、明らかに三級品の庭だった。
《ヘルWの空中庭園》は、ベルリンの壁のすぐわきのビルの屋上から15㎝上の場所に固定されている。夏には毎日派手なパーティーが行われ、酔った客人が3階の庇まで落っこちたこともあるという。
【人間の性(さが)】
バタイユは『死によって失われる生の連続性に対する欲望』を《エロティシズム》と定義しました。それは、死の恐れ・孤独の不安を打ち消すために、禁忌をあえて破るという行為となって現れます。
例えば、戦争の暴力、宗教の生贄、そして性行為は、死の恐れと孤独の不安を打ち消す《エロティシズム》の代表的な三形態です。作者は、東西ドイツで見聞したものごとの本質に《エロティシズム》に起因する人間の性(サガ)を感じ取っているように思われます。
千年王国を妄想したヘルマン・ゲーリングとひと夏の享楽にいそしむヘルWは、傍目には対極に位置する人物のように見えます。しかし、《要塞》と《空中庭園》にそそぐ常軌を逸した彼らの執着には、この世界に一人投げ落とされ孤独のうちに死んでいく恐怖と不安への反動が感じられます。一方で《冬の博物館》のイメージは、誰もが本能の下僕として生きてくしかないという人間の性への諦念が感じられます。
死や孤独から目をそらさず、穏やかに生きていく術などあるのでしょうか?