村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【②ジェリーとモリーとサム】(『頼むから静かにしてくれⅡ』より)

Amazon.co.jpより

 今回は『ジェリーとモリーとサム』という短篇をご紹介します。本作のタイトルについて、訳者の村上春樹は巻末の解題で次のように述べています。

 

この作品の中にはたしかにジェリーもモリーもサムも出てはくるけど(端役のバーテンダー、客の娘、昔飼っていた犬)、彼らはすべて端役であり、話の本筋とはほとんど関係ない。どうしてこんな無茶苦茶なタイトルをつけなくてはならなかったのか、いくら考えても訳者にはわからない。(『頼むから静かにしてくれ 解題』より)

 

 初めてこの作品を読んだとき、私もまったく同じ印象を持ちました。『アレックスとメアリとスージー(息子と娘と飼い犬)』なら愛情が感じられるし、100歩譲って「ベティーとサンディーとジル(妻と犬をくれた妻の妹と夫の浮気相手)」であっても、そこに何らかの意図が読み取れそうです。

 

 しかし、本作のタイトルはそのどちらでもないために、そこにあるべき意味を読み解くことは後回し。これは本文についてもいえることですが、本作はどうやら作者の意図を読み取るよりも、むしろ読み手の自由な解釈に重きが置かれているようなのです。そのとき「読むという行為」は、読み手の心を映し出す鏡になります。

 

『あの糞たれ犬』

ルは妻のベティーにせがまれて家賃の高い家に引っ越してきたばかり。そこに来て勤め先がリストラを開始した。気が滅入ったアルは、ジルという女と浮気を重ねる。便秘と小さなハゲ、それに妻の妹から譲り受けた雑種犬のスージーのしつけも悩みの種。アルは物事の秩序を正し、すべてにかたをつけるため、ある計画を思いついた。家族の誰にも知られることなく実行されねばならないその計画を。

 

彼は片手で顔を撫で、様々な思いを少しのあいだ頭から追い払おうと試みた。そしてよく冷えたラッキーの半クォート缶を冷蔵庫から出して、アルミニウムのプルリングをとった。彼の人生は迷路と化していた。ひとつの嘘がべつの嘘で塗り固められ、いざとなってもそれを解きほぐす自信が持てなかった。「あの糞たれ犬」と声に出して言った。

 

んなところを人に見られたらみっともない。子犬を捨てるような男にどれだけの価値があるだろうか。びくびく怯えながら飼い犬のスージーを連れだしたアルの情けない顛末の一部始終が描かれる。

 

【中年の危機】

 職場環境の急激な変化に、主人公のアルはとても冷静ではいられません。加齢による体の衰えに憂鬱になったかと思えば、浮気を重ねて性的に活発になってみたり。身の回りの人間関係に辟易とし、過去を思い返して後悔にさいなまれてみたり。その一連の言動のすべてが《中年の危機(ミッドライフ・クライシス)》の典型的な兆候を示しています。

 

 程度の差はあれど、誰もが一度は通過すると言われる《中年の危機》。物語の後半に描かれる紆余曲折は、アル自身の弱い性格も深く影響しています。受身的で、周りの目を気にし、自尊心に振り回され自分を制御できないダメ男。正直、私自身を振り返れば、これを他人事のように思うことはできません(^-^;

 

 思い悩んだ挙句、彼は一度捨てた犬を探しに戻ってくるのですが、その結末はご自分で読んでみてください。本作のような、言葉で言い表すのが難しい概念を描かせたら、カーヴァーの右に出る者はいないということがご理解いただけるでしょう。

 

 さて、ここまで来たらタイトルの『ジェリーとモリーとサム』の解読まであと少し! と行きたいところですが、なんだか今更それを詮索するのは野暮なことに思えてきました。それは、人生の折り返し地点で逡巡する男の口からこぼれ出た戯言です。少しぐらい聞き逃してあげてもいいと思いませんか?