村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【出かけるって女たちに言ってくるよ】(『愛について語るときに我々の語ること』より)

Amazonより

 私たちは日々の生活の中で、男らしく、父親らしく、上司らしくといった役割を求められ、その期待に応えられなければ「不適応」と見なされます。一方で、役割に適応しようとするあまり、自己の感情や欲求をおろそかにすると制御不能な形で抑圧が表面化することがあります。そんな人の心理を描写した本作をご紹介します。

 

 ジェリーとビルは幼なじみの親友であり、結婚後も家族ぐるみの付き合いを続けていました。外から見ればどちらの家庭も平穏そのもので大きな問題は見当たりません。しかし、ジェリーの心には満たされない感情が徐々に膨らみ、彼自身もそれを抑えきれなくなりつつありました。

 

『ひとっ走りしないか?』

 ある日曜日の午後、ジェリーの家でバーベキューが開かれた。妻や子どもたちが楽しむ中、ジェリーはどこか浮かない様子だった。その様子に気づいたビルが声をかける。

 

「よう、どうかしたのか? なんていうか、変だぜ」

ジェリーはビールを飲み干し、缶を握りつぶした。そして肩をすくめた。

「まあな」とジェリーは言った。ビルは肯いた。

それからジェリーが言った。「ひとっ走りしないか?」

「いいねえ」とビルは言った。「女たちにちょっと出かけるって言ってくるよ」

 

 二人は娯楽センターに出かけ、昔のようにビリヤードを楽しみ、ビールを飲みながら過ごした。しかし帰り道で、若い女性二人組がジェリーの目にとまった。彼はその女性たちを車で追いかけ始める。ビルは戸惑いながらもジェリーに付き合い、二人は女性たちが向かった丘の上にたどり着いた。こうして惨劇は始まった。

 

【ペルソナとアニマ】

 心理学者のユングは、人間の外界に対する適応の側面を「ペルソナ」、内界に対する側面を「アニマ」と呼びました。そして、誰もがそうした普遍的な精神構造を持っているため、私たちは外と内の両方に対して適切な態度をとる必要があると説きました。

 

 例えば、一人の男性が「厳格なペルソナ」に固執すればするほど、その裏では「好色漢なアニマ」が人格に柔軟性や躍動性を求めて作用します。ただし、このアニマが過剰に働きすぎると、人は別人格のような行動を取り始め、破壊的な結果を招きます。

 

 物語の後半でジェリーはついに自制心を失い、暴力的な行動に及びます。数時間前まで家族と穏やかな時間を過ごしていた男が、突如として別人に変貌する姿に驚かされます。ユングの理論で解釈してみても、読後の衝撃がしばらく頭を離れませんでした。

 

 規範や倫理が過度に求められる現代社会において、私たちは内なる本能や衝動とどのように向き合うべきでしょうか。あるいは、先鋭化する社会に寛容性を求めることはできないのでしょうか。昨今報じられる政治家や芸能人のスキャンダルを巡る騒動を目にすると、社会全体でこの問題を問い直す必要性を感じずにはいられません。