村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏】「カンガルー日和」より

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  本書はある若い夫婦が体験した《貧乏》をノスタルジックに描いた作品です。荒唐無稽な状況にもどこか懐かしい気持ちになります。

 

【要旨】

  • 「貧乏」といえば、昔暮らしていた三角形の細長い土地のことを思い出す。
  • 僕と彼女は家賃の安さから、鉄道線路に挟まれたそんな場所に住んでいた。
  • 四月に鉄道ストがあると僕と彼女と猫は線路に降りて、ひなたぼっこをして過ごした。

 

『三角形の細長い土地』

それは絵に描いたような細長い三角形の土地。両脇には二種類の鉄道線路が走っていました。騒音振動に加えてプライバシー侵害。居住性という観点から見ればそこは無茶苦茶な代物でした。

 

旅客列車が午前一時前に全部の運行を終えてしまうと、今度は深夜便の貨車の列がそのあとをひきついだ。そして明け方までかけて貨車がひととおり通り過ぎてしまうと、翌日の旅客輸送が始まる。その繰りかえしが来る日も来る日も蜒々とづづくわけだ。 やれやれ。

 

【ディティールの向こう側】

  作家のサリンジャーは、ヨーロッパ戦線で体験した激しい戦闘の記憶に生涯苦しめられたといいます。その苦しみを昇華するための創作を必要としたのですが、リアルな戦場の実体験を直接描くことはありませんでした。その代わりに、『ライ麦畑~』のホールデン少年や一連のグラース家の人々の物語を通じて、苦しみばかりでなく「気まぐれ我がままで人嫌いな目立ちたがり」といったややこしい自己の内面を解放したと言われています。

 

  チーズ・ケーキのようなその場所は、中央線沿いの某所に実在していました

 

 村上春樹サリンジャーと同様に、直接的な自己開示を嫌う作家です。ここでも《三角地帯》のディティールを精緻に描く一方で、実際に暮らした2年間の様子については申し訳程度の言及にとどまっています。ディティールの水面下の物語にはどんな思いが隠されているのでしょうか? 描かないことによって、そうした思いは普遍的な概念に昇華されているようにも思えます。