村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【かいつぶり】「カンガルー日和」より

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 進学、就職、結婚などは、一般的に人生の《ターニングポイント》と呼ばれます。本作は、その一つである就職にまつわる奇妙な体験を描いた物語です。

【要旨】

  •  今日は、やっとみつけた理想的な仕事の初出社日。
  • 長い廊下を歩き続け、ついに葉書に書かれたドアにたどり着いた。
  • ドアの向こうから現れた男が、僕に合言葉を求めてきた。それがないと誰も通すことができないと言うのだが・・・。

 

『合言葉は?』

ついに見つけた夢のような仕事。それは楽な仕事でありながら驚くほど給料が高く、年に二回のボーナスと夏の長期休暇までついている。長い廊下も、迷路のような分岐点も気にせず前に進み、その入り口にたどり着いた。

 

「ここで働くことになってるんだね」

「そう」と僕は言った。

「俺は何も聞いてないんだけど、とにかくまあ上の人に取り次いでみるよ」

「ありがとう」

「ところで合言葉は?」

「合言葉?」

 

【世界は存在しない】

  『なぜ世界は存在しないのか』の著書で知られるマルクス・ガブリエルは、あらゆる事象は一人ひとりの視点である《意味の場》においてのみ存在すると定義しています。その考えをさらに進めると、普遍的で客観的な真実は存在しないことになります。

 

 例えば、富士山を見るとき、人それぞれに異なる富士山の像が存在しています。しかし、ボクたちはそれぞれの《意味の場》を交換し合うことで、無数に存在する富士山の像を共有することが出来ます。この考え方は、個々の物の見方の違いと、その違いを超えて共感が生まれる仕組みの両方をうまく説明しています。

 

 物語の中で、主人公が『かいつぶり』という合言葉を選ぶと、『かいつぶり的事象の扉』が開き、扉の向こうには『かいつぶり男』が待っていました。普遍的で客観的な『かいつぶり』の像は存在しないにもかかわらず、《意味の場(=合言葉)》を共有することで意思が通じるという状況が寓話的に描かれていると読み取ることも出来そうです。

 

  ところで、一人ひとりが固有の《意味の場》を生きているボクたちは、本来なら普遍的で客観的には存在しないはずの人生の局面を、まるで運命の岐路が実在するかのように誤解しています。このことをガブリエル的に言えばこうなります。

 

        人生に《ターニングポイント》は存在しない