村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【風の歌を聴け】

f:id:Miyuki_customer:20210429161601j:plain臆すことなく


 本書は言わずと知れた村上春樹のデビュー作。若干29歳の新人作家は自身の創作のルーツとして架空のSF作家を臆すことなく引用し、翻訳調の文体にポップカルチャーをちりばめ、既存の文学に対するあからさまなアンチテーゼを展開しました。「こんな小説は文学じゃない」という当時の識者たちの指摘は至極ごもっとも。でも時代が求めたのは《既存の文学》ではなく《新しい風の歌》でした。

 

《あらすじ》
何かを書こうとするといつも絶望的な気分に襲われる。そうして僕はじっと口を閉ざして何も語らず、20代最後の年を迎えた。一夏中かけて僕と鼠が25メートル・プール一杯分のビールを飲み干した1970年の夏。今、僕は語ろうと思う。

 

『僕から鼠へ』

「でもね、よく考えてみろよ。条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いのもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。」

 

大学をドロップアウトし、親とも彼女との関係も上手くいかない鼠に対して「僕」がかけた言葉です。持って回った表現ですが、作者は後の作品を通じてこのメッセージを具現化していきます。

 

『小指のない女の子へ』

「それでね、何か嫌なことがある度にその草の塊りを眺めてこんな風に考えることにしてるんだ。何故牛はこんなまずそうで惨めなものを何度も大事そうに反芻して食べるんだろうってね。」彼女は少し笑って唇をすぼめ、しばらく僕の顔を見つめた。「わかったわ。何も言わない。」

 

父親の病と家族離散、妊娠中絶。辛い経験を重ねてきた彼女に対して「僕」がかけた言葉です。果たしてこれが彼女にとって慰めとなったのかならなかったのか。「僕」はその後二度と彼女と会えなかったので確かめるすべはありません。

 

『リスナーへ』

「でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。

          僕は・君たちが・好きだ。

あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、そして僕のことをまだ覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。」

 

「犬の漫才師」を自称するDJが病気で3年間寝たきりの生活を送っているリスナーに呼びかけた言葉。回りくどいセリフばかりの本書が、DJの口を借りてようやく素直な言葉を吐き出したと捉えることもできそうです。

 

ポストモダン文学】

 1980年代に《ポストモダン文学》と呼ばれる一群の作品が登場します。例えば、ポップカルチャーと融合したり、詩的な表現で物語を解体したり、模倣やパロディなど駆使してそれまでの文学の常識を打ち壊すことを信条とした新しい文学です。

 

 本書は1970年の夏の出来事を、1979年時点で29歳になった「僕」が回想するという構成になっています。ポストモダン的な手法によって、鼠や小指の無い女の子のプロットは分解され、不規則にアフォリズム(格言)が差し込まれています。学生運動の情熱が挫折し、冷たい現実と向き合うことを余儀なくされた70年代の若者たち。作品全体を通じてそんな彼らへのエールが感じられます。

 

 既存の文学への対立軸を作ることだけで成立したかのような、なんとも初々しい作品です。今回改めて読み返してみると、まだ先の見えない未熟な頃の自分を思い出して、切ないような、気恥ずかしいような、何とも言えない気分が蘇ってきます(*^^*)