村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【ハンティング・ナイフ】「回転木馬のデッド・ヒート」より

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 本作は2003年に米誌『ザ・ニューヨーカー』に掲載されました。アメリカの読者が本作を読んでどのように感じるのかとても興味があります。情報が容易に飛び交うグローバルな時代にあって国境を超えた相互理解はとても大切なことですが、本作は改めてその困難さについても考えさせられるからです。

 

【あらすじ】
コッテージの我々夫婦の隣りの部屋には、母親と車椅子の息子が二人で泊まっていた。彼らはいつも二時頃になるとビーチにやって来て、やしの木の葉かげに座って海を見ていた。波打ち際からブイまでクロールで50ストローク。僕は最後のひと泳ぎを始める。

 

『ブイの上のアメリカ人女性』

ブイの上には思いがけなく先客がいた。ブロンドの髪の、見事に太ったアメリカ人の女だった。ビーチから眺めたときにはブイの上には人の姿がないように思えたのだが、それは彼女がブイのいちばん奥の端に寝転んでいたので、目につきにくかったせいかもしれない。

 

彼女は海軍あがりの元亭主と別れて、今は故郷のロスで暮らしている。強い日差しの下で無防備に白い肌をさらす彼女には、穏やかな語り口とは裏腹に絶望と狂気が感じられる。彼女はなぜこの地に訪れたのでしょうか?彼女は本当は何を語りたかったのでしょうか?

 

『車椅子の日本人青年』

「僕はこれを使って誰かを傷つけたり、あるいは僕自身を傷つけたり、そういうことをするつもりはまるでないんです。僕はただある日突然、無性にナイフというものが欲しくなったんです。どうしてだかわかりません。

 

車椅子の青年は肉体的にも経済的にも自由を奪われ、家族の中で《動かない旗じるし》のような役割を果たしている。ハンティング・ナイフを手に入れたものの、扱うことの出来ない彼はその切れ味を確かめてほしいと頼み込む。彼が感じている無力感、頭の裏に刺さっているというナイフの幻影、その景色にはどこか身覚えがあります。

 

【二つの視点】

  職業軍人を身内にもつアメリカ人女性のエピソードには、かつて沖縄を出撃拠点としたヴェトナム戦争の記憶が漂います。もう一方の車椅子青年が手にした護身用のハンティング・ナイフは平和憲法下での自衛隊を想起させます。しかし、本作はその意図について明確な言明を回避しています。

 

 これを読んだアメリカの読者の多くは、ハンティング・ナイフについて不健康な精神に宿った反逆の象徴に過ぎないと捉えるのかもしれません。ボクを含む日本の読者が、ブイの上の彼女が味わった本当の苦しみを理解するのが難しいように・・・。

 

 さて、本書はボクたちが人生を通じてどこにも行けないという無力感を《メリー・ゴーラウンド》と表現し、そこで生じた人々の想いを物語の形で書き留めてきました。この後に続く村上作品は、こうしたテーマを回収するような展開となるのですが、この先もじっくりとご紹介していきたいと思います。ひとまず8作品全てのご紹介を終えることが出来てホッとしています。