村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑫再会】(『巨大なラジオ/泳ぐ人』より)

Amazonより

 本作は、自分を捨てて出て行った父親とニューヨークで再会した少年のエピソードです。少年の目を通して映し出される父親の実像を読み解いてみます。

 

『ほらお客さんだよ』

 チャーリーの両親は3年前に離婚し、それ以来彼は一度も父に会っていない。彼は父親に手紙を書き、乗り継ぎ列車を待つ間にニューヨークで1時間半の空きがあることを伝え、2人で昼食をとる約束をした。12時に再会すると、さっそくレストランに向かった。

 

腰を下ろすと、父は大声でそのウェイターを呼んだ。「ケルナー!」と彼は叫んだ。「ギャルソン!カメリエーレ!あんた!*1」父の威勢のよい態度はその空っぽのレストランではいささか場違いに見えた。「ほらお客さんだよ、お客さんだ!」と彼は叫んだ。「急いで、急いで」、そして父はぱんぱんと手を叩いた。

 

 

 チャーリーの父親は、手を叩く失礼な呼び方をしたためにウェイターを怒らせてしまい、二人はレストランから追い出されてしまう。次に入った店では少年への酒の給仕を拒否された。3軒目ではウェイターの口答えに腹を立て、4軒目は得意のイタリア語の注文が嚙み合わず、結局どこにも落ち着くことなく電車の時刻を迎えることになってしまった。

 

【躁的防衛】

 不安やストレスから生じる心の痛みに耐えきれないとき、その不快な状態を排除しようとする防衛メカニズムが働きます。《躁的防衛》はその代表的な反応のひとつです。それは標的への万能感、軽蔑感、征服感など、自分にとって都合のいい空想に浸ることで成り立っていて、一時的に不安やストレスを和らげることができますが、人間関係に悪影響を及ぼすのは避けられません。

 

 チャーリーの父親は3年ぶりに出会った息子への接し方が分からず、《躁的防衛》の負のスパイラルに陥ってしまいます。傍目には愉快な人ではありますが、レストランでの彼の態度は目に余るものがあり、一緒にいる人には恥ずかしくてたまりません。そんな父親に対して、チャーリーは次のような言葉を記しています。

 

我が肉であり血、我が未来である宿命。自分も大きくなったらこういう人になるんだなと思った。彼の設定した限界の中で、自分もまた戦うだんどりを立てなくてはならないのだと。

 

 なんともやるせない気分になりますが、純粋な少年の心から出た至言です。やたらと態度がデカく、余計な一言も多く、周りの空気が読めないクセに、若手からの評判が気になって仕方がない最近の私には、この言葉がどんな忠告よりも胸に刺さります。

*1:ケルナー、ギャルソン、カメリエーレ:いずれもドイツ語、英語、イタリア語の給仕を指す言葉。