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本作は、自分を捨てて出て行った父親とニューヨークで再会する少年のエピソードです。父親の行動は表面的には陽気に見えますが、その内面に不安やストレスも感じられ、それを見つめる少年の心情を描いています。
『ほらお客さんだよ』
チャーリーの両親は3年前に離婚して以来、彼は一度も父に会っていない。ある日、チャーリーは父に手紙を書き、乗り継ぎ列車を待つ1時間半の空き時間にニューヨークで会う約束をした。そして約束の日、正午に再会した二人は、さっそくレストランに向かった。
腰を下ろすと、父は大声でそのウェイターを呼んだ。「ケルナー!」と彼は叫んだ。「ギャルソン!カメリエーレ!あんた!*1」父の威勢のよい態度はその空っぽのレストランではいささか場違いに見えた。「ほらお客さんだよ、お客さんだ!」と彼は叫んだ。「急いで、急いで」、そして父はぱんぱんと手を叩いた。
その威勢のよい態度は空っぽの店内では場違いなもので、ウェイターを怒らせてしまいます。結局、二人はその店を追い出されてしまいました。次に入った店では少年への酒の提供を断られ、さらに3軒目ではウェイターの対応に怒り、4軒目ではイタリア語で注文した料理が通じず、どこにも落ち着くことができずに別れの時間がやってきます。
【躁的防衛】
心理学では、不安やストレスが心の痛みを引き起こすとき、それを和らげるために働く防衛メカニズムがあります。そのひとつが《躁的防衛》と呼ばれる反応です。この反応では、万能感や軽蔑、征服感など、自分に都合の良い空想に浸ることで一時的に心を落ち着かせることができますが、結果的に人間関係に悪影響を及ぼすことになります。
チャーリーの父親は、久しぶりに息子と再会したものの、どう接すればよいのか分からず、不安から《躁的防衛》に陥ってしまったと考えられます。傍目には陽気で愉快な人に見えますが、その態度は一緒にいる相手に恥ずかしい思いをさせます。そんな父親の行動を目の当たりにしたチャーリーはこう述べています。
我が肉であり血、我が未来である宿命。自分も大きくなったらこういう人になるんだなと思った。彼の設定した限界の中で、自分もまた戦うだんどりを立てなくてはならないのだと。
この言葉には、少年の純粋さとやるせなさが感じられます。最近、やたらと態度が横柄で、つい余計な一言を口にしてしまい、周りの空気を読むのが苦手なクセに、若手の目が気になって仕方がない私には、この言葉はどんな忠告よりも胸に刺さります。
*1:ケルナー、ギャルソン、カメリエーレ:いずれもドイツ語、英語、イタリア語の給仕を指す言葉。