村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【⑯パーシー】(『巨大なラジオ/泳ぐ人』より)

Amazonより

 本作は、都会的で洗練された作風から脱却した、チーヴァーの晩年の作品です。アメリカ社会の歩みと結びついた筋書きの裏には、意外な事実が隠されていました。

 

 語り手は、叔母のフローレンスとその家族にまつわるエピソードを回想します。フローレンスは若い頃、芸術家になる夢を持ち、貧しい中でも美術学校に通わせてもらいました。そこで彼女は「パーシー」と名乗り、フェミニストのスタイルを真似て葉巻を吸うようになります。

 

『葉巻を吸うパーシー』

夜遅くにベッドに入ったあとに、ぼくの父親がこんな風に怒鳴っていたのを聞いてしまった。「もうこれ以上、あの葉巻を吸うおまえの姉を養っているわけにはいかないぞ」と。パーシーはときおりフェンウェイ・コートの作品模写をして売っていた。それはいくらかの収入にはなったが、とてもじゅうぶんな額とは言えなかった。

 

 パーシーはアボットと結婚しますが、彼の収入が不安定なため、雑誌の挿絵で家計を支えます。その後、彼女は業界の第一人者として成功を収めますが、自分の才能に満足できず、音楽の才能を示した長男ラヴェルに期待を寄せます。もう一人の息子ボーフォートは重度の神経障害を抱えていて、施設で生活しています。

 

『息子の婚約者』

ラヴェルは彼女を家まで車で送っていって、それから私の承認の言葉を聞くためにーーーたぶんそのためだと思うのだけどーーーうちに戻ってきました。もちろん私の心は二つに裂けていました。彼はただの金髪のために、偉大な音楽家としてのキャリアを捨て去ろうとしているのです。私は息子に言いました。二度とあの女に会いたくないと。ぼくは彼女と結婚するよと彼は言い、あなたが何をしようが私の知ったことではないと私は言いました。

 

 ラヴェルは金髪の娘に魅了され、音楽の道を捨てます。パーシーは息子の選択に失望し、結婚式にも出席しませんでした。その後、息子は宗教に傾倒し、若くして亡くなります。パーシーも息子の後を追うように心血管疾患を発症し、亡くなります。残されたのは、神経障害を抱えるボーフォートでした。

 

【自伝的事実】

 理想に向かう高揚感と挫折の苦悩が母と息子の間で繰り返され、その連鎖を断ち切るために息子は信仰に救いを求めます。この物語は、フェミニズムの台頭や保守的反動、二世たちのニューエイジ思想への傾倒といったアメリカ社会の変遷を象徴的に描いているようにも見えます。

 

 しかし、そうした見方は表層的なものでしかありませんでした。本作に描かれたエピソードの多くはチーヴァー自身の自伝的事実に基づいたものであり、パーシーという実在した人物を描く意図がありました。予備知識を持って本作を読み返すと、生活感漂うリアル描写が随所に見受けられます。

 

 そもそも、家族の間で体験する出来事の多くは、言葉で表現することが難しい私的な領域にあります。そこに意味があるのか、真実というものがあるのか、あやふやなまま家族の歴史は刻まれていきます。本作のように、物語の形式を保ちつつも、語りえない事柄を内包する手法は、小説ならではのものかもしれません。

 

 チーヴァーは精神的な葛藤を抱え、そのために私生活に少なからぬ問題を引き起こしたとされています。そんな彼がパーシーの生き様に託した思いは何だったのか。神経障害を抱えたボーフォートが最後に発した言葉に込めた気持ちは何だったのか。語りえないことについては沈黙をもって、慎ましく終わりにしたいと思います。