村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【騎士団長殺し(第2部「遷ろうメタファー編」)】

Amazonより

 『騎士団長殺し』の後半では、〈メタファー〉を中心に村上春樹の独特な世界観が展開します。

 

 認知言語学では、〈メタファー〉は単なる修飾技法ではなく、私たちの基本的な認知能力の一つとされていて、言語活動のみならず、思考や行動、日常のあらゆる場面に浸透しています。

 

 例えば、雨田具彦が暗殺を計画したナチの高官や、南京城内で中国人捕虜の首を切らせた少尉に向けた感情は、彼の口からは直接語られず、『騎士団長殺し』の寓意に託されます。そこには、言葉では表現しがたい私的な感情が〈メタファー〉を通じて表現されています。

 

『遷ろうメタファー』

 免色渉は秋川まりえを実の娘と考え、秋川家が見える場所に3年前に引っ越しました。彼はまりえの肖像画を描くよう「私」に依頼し、偶然を装って彼女との出会いを果たしますが、その結果、まりえは謎の失踪を遂げます。「私」は『顔なが』を呼び寄せ、地下に通じる穴を開けさせ、まりえのいる場所に案内するよう要請します。

 

「ここまでわたくしの通ってきた道は〈メタファー通路〉であります。個々人によって道筋は異なってきます。ひとつとして同じ通路はありません。ですからわたくしがあなた球に道案内をすることはできないのだ」

 

 『顔なが』は怪しげな暗喩を繰り返すばかりで、頼りにはなりません。仕方なく「私」は〈メタファー通路〉に単独で入り、正しい道筋を見つける決意をします。しかし、そこには〈二重メタファー〉が潜む得体の知れない危険が待ち受けていました。

 

『二重メタファー』

 〈メタファー通路〉で「私」を待ち構えていたドンナ・アンナは、〈二重メタファー〉について次のように語ります。

 

「あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの、そのようにして肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっていうものなの」

 

 「私」は記憶を頼りに〈メタファー〉を読み解きながら〈メタファー通路〉を進みますが、行き着いた先は漆黒の闇に包まれた石室の底でした。そこは生の実質が奪われ、恐ろしい沈黙が支配する場所で、「私」は三日間閉じ込められることになります。

 

イリヤからの解放】

 哲学者のレヴィナスは、私たちの存在の根底にある空虚で殺伐とした概念を《イリヤ》と呼び、他者との対話や交流がそうした圧迫感から私たちを解放すると語っています。ユダヤ人でもある彼は、第二次世界大戦中にドイツ軍の捕虜となった経験を通じて、このような思想を生み出しました。

 

 夜中に目を覚ました時、不気味な無の存在感を感じたことはありませんか。一度その不安や恐怖に飲み込まれてしまうと、容易には逃れられません。正しい思いを貪り食う邪悪な〈二重メタファー〉は、このような夜の闇から生まれるのかもしれません。私たちが夜明けの光を待ち望み、他者との繋がりを求める理由がそこにあります。

 

 本書のプロローグに登場した〈顔のない男〉は、〈メタファーの川〉の渡し守としてその役割を明らかにします。私たちが意識の奥深くへと進むためには、善悪を超越した想念を通り抜けていくことが求められます。そして、たどり着いた場所には、空虚で殺伐とした闇が待っているのですが、むしろ、そうしたものへの反動が生の原動力となって、私たちが正しいと信じる方向へと導いているように思えるのです。

 

 さて、この後の展開についてはまだまだ語りたいことがありますが、目安にしているブログの文字数に近づいてきたので、この辺りで終わりにします。『騎士団長殺し』は、村上春樹の独特な世界観と多層的なテーマが織りなす作品であり、このご紹介が本書を楽しむための一助となれば幸いです。