村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【緑色の獣】(『レキシントンの幽霊』より)

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 私たちの本当に知りたいことが「意識の奥底」に潜んでいて、時折浮上してこようとしているのに、私たちはそれを自ら封印してしまうことがあります。なぜそんなことが起こるのでしょうか?今回ご紹介する作品を通じて考えてみたいと思います。

 

《あらすじ》
がいつものように仕事に出ると、残された私にはもうやることがない。窓辺の椅子に座り、子供の頃から好きだった庭の椎の木と心の中で対話して過ごす。あたりが暗くなるまでそうしていると、気味の悪い音が聞こえてきた。椎の木の根元からおぞましい姿の緑色の獣が這い出してきたのだ。

 

『プロポーズに来たですよ』

ねえ奥さん、奥さん、私はここにプロポーズに来たですよ。わかるですか?ずっと深い深いところからわざわざここまで這い上がってきたですよ。大変だったですよ。ずいぶん土もかきましたよ。爪だってこのとおりはがれちまいましたよ。

 

は人の心を読む特殊な能力を備えていた。言葉を発さずとも「私」の考えはすべて見抜かれる。「私」はその能力を逆手にとり、獣が苦しむ痛々しいシーンを次々と思い浮かべた。獣は「私」の悪意を吸い込んで苦しみ始める。そして地面をのたうちながら何か伝えようとする。すごく大事な、遠い記憶のメッセージを。

 

インナーチャイルド

 《アダルトチルドレン論》で知られるC.L.ウィットフィールドは、生き辛さの原因は『偽りの自己』だと語っています。抑圧された幼児体験の記憶を呼び戻す過程を通じて『インナーチャイルド(内なる子供)』を癒すことで、それを取り除くことができると主張します。

 

 例えば、親に怒られた、友だちにいじめられた、といったネガティブな記憶や感情が「抑圧された幼児体験」となります。誰しも子供時代にイヤな経験の一つや二つあるわけで、その全てが今の認知の歪みに繋がっているとは思えませんが、有力な仮説の一つには違いないでしょう。

 

 さて、物語のなかで庭の椎の木を見つめていた彼女の心境はどのようなものだったのでしょうか? 他者から愛される実感が持てず、自分自身をも愛することが出来ず、頼るべき夫の不在を椎の木との対話で埋めていた、という構図が浮かびます。このとき現れた『緑色の獣』は、実は彼女の内側から出現したことが暗示されています。獣を相手に心の毒を吐き出す姿には、「ありのままに愛されたい」という切実な願望が投影されています。

 

 ウィットフィールドの説に従えば、獣の存在を受け入れることが彼女の自己回復プロセスの始まりであったはずです。しかし彼女は被害妄想に囚われて、獣を受け入れるどころか徹底的にいたぶり苦しめた末に抹殺してしまいました。それもまた彼女の長い自己回復過程のひとコマなのかもしれませんが・・・

 

 夜の闇に支配されるエンディングは彼女の心の闇の深さを表しています。ただ、自分の問題に気づかないまま、せっかくの気づきのチャンスを自ら潰して、人知れずもがき続けているのはこの私も同じです(-_-;)