村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【④午後のフェイス】(『最後の瞬間のすごく大きな変化』より)

 本作から作者グレイス・ペイリー自身を投影したと思われる主人公に『フェイス』という名前が付きます。ただし、1人称で語られていた文章は途中から3人称に、さらに登場人物たちが次々と割り込んで独自の主張を繰り広げ、物語はにぎやかな〈ポリフォニー*1〉を奏で始めます。

 

《あらすじ》
カルドと結婚したために私(フェイス)は二人の子どもを抱えて文句なく惨めな境遇にいる。両親と兄妹は私の愚かしい境遇に対して顔をしかめ、意地をはって不幸から抜け出さない私のことを恥ずかしく思っている。いいわよ、恥ずかしく思いなさい。それがなんだっていうのよ!

 

『フェイス!よくお聞きなさい』

「ねえ、ママ」とフェイスは先日〈ユダヤの子どもたち(=老人ホーム)〉を訪問したときに言った。「私とリカルドは、もうこれ以上一緒にやっていけないと思うの」

「フェイス!」と母親は言った。「あなたったら、ほんとに短気なんだから。いいこと、よくお聞きなさい。この人生の中ではね、そんなのは珍しいことじゃないのよ・・・(以下長々と続く)」

 

ェイスは身持ちが良くない夫リカルドの相談で、老人ホームにいる母のもとを訪れた。強烈キャラの『おばあさんたちの毛糸の靴下協会』会長も加わり、ガールズ・トークに花が咲く。一方、後から現れた父親のおしゃべりパワーは、そんな彼女すらも沈黙させた。

 

ポリフォニー小説】

  文芸批評家のミハイル・バフチンは著書のなかで、ドストエフスキー作品が持つ革新性について論じています。

ドストエフスキーは、芸術形式の領域における最大の革新者の一人とみなすことができる。思うにドストエフスキーはまったく新しいタイブの芸術思想を打ち立てた。本書ではそれをかりにポリフォニーという名前で呼んでいる。(『ドストエフスキー詩学』より)

 

 例えば作品の中で、作者の意志に反して登場人物があたかも独立した人格のように振る舞い始めると、人物相互の間に「リアルな対話」が生まれます。それは現実的な状況下で起こる視点の多様性を物語上に再現します。バフチンが発見したこうした小説技法は《ポリフォニー論(対話理論)》と呼ばれています。

 

 本作は老人ホームを舞台にした拡大家族のなかで、登場人物たちが作者を飛び越えて会話を交わし合う《ポリフォニー小説》になっています。訳者の村上春樹はこれに『カラフルな物語宇宙』と名付けていますが、先が読めない展開の妙にはTVのトーク・バラエティにも似た楽しさが感じられます。

 

 とはいえ、「ロシア系移民のユダヤ人家系のニューヨーク生まれのフェミニスト女性」というややこしい背景を呑み込むまでに、時間をかけて何度も読み返す必要があるかもしれません。私も最初はそうでしたから。それでも本書を読み終え、彼女らの仲間入りとはいかなくとも、違和感がぬぐえてきた頃にはグレイス・ペイリーの魅力にすっかり病みつきになっていました(^-^)

*1:主旋律・伴奏といった区別がなく、どの声部も対等に扱われる音楽。転じて、各自別々の目標、物語を持った登場人物たちが自律的に対話をする文学形式を表す。