村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【雨やどり】「回転木馬のデッド・ヒート」より

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 1980年代は土地の急激な上昇により企業や富裕層のみならず一般人まで巻き込んだ一大消費ブームが起きた時代です。高級輸入車、有名絵画、骨董品が買い漁られ、大都市の歓楽街には大金を手にしたバブル紳士が現れたといいます。・・・と云ってもボクはまだバブルの恩恵にあずかることが出来ない田舎学生でしたが(笑) ともかく、そういう時代について語った本作をご紹介します。

 

【あらすじ】
雨を避けて立ち寄っていたレストラン・バーに7人の若者たちが飛び込んできた。グループの中の一人はかつて僕にインタヴューしてくれた女性月刊誌の編集者。彼女は2年前にその会社を辞めたと僕に告げ、次の仕事先に移るまで一ヶ月間の休暇をとったという。その休暇中、彼女はお金をもらって5人の男と寝たのだと語り始めた。

 

『彼女が寝た相手』

最初に彼女が寝た相手は中年の医者だった。彼はハンサムで、品の良いスーツを着ていて---あとでわかったことなのだが---五十一歳だった。彼女が六本木のジャズ・クラブで一人で飲んでいると、その男が隣りにやってきて、〈どうもあなたのお待ちあわせの方がみえてないようですね、私も実はそうなんです、もしよろしければどちらかの相手がくるまで〉云々のよくある科白を口にした。

 

こんな打ち明け話をしてくれたのは、きっと「僕」が彼女にとっての日常空間に属さない記号的な存在にすぎないからだと「僕」は考えてみる。

 

【消費社会の神話と構造】

 哲学者のボードリヤールは『消費社会の神話と構造』という著作のなかで、人間のあらゆる欲望は《差異》のうちにあると語っています。

 

 例えば、消費社会が示す幸福は、一定期間に何をどれだけ消費するかといった数値の《差異》で計られます。人はそのようなシステムの中にあって、欲望ばかりでなく、不平不満も、思考体系も、《差異》の概念の内に組み込まれ、いかなる社会変革・反体制運動もシステムそのものを解体することは出来ないとされます。

 

 本作は、恋愛のもつれから一時的に社会からドロップアウトした女性が、システムの歯車になった男たちを値踏みするという内容です。非日常的な彼女の視点は、この消費社会のシステムがいかに強固で、そこから離れて生きることがいかに困難なことか、ということを皮肉っているように感じられます。

 

 村上春樹はこの後に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でこの閉鎖的なシステムから抜け出すためのひとつの可能性を提示するのですが、それについてはまた別の機会に。それでは。