村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか】(TVピープルより)

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 本作は初期の短篇『バート・バカラックはお好き?』の続編のような趣の作品です。先にご紹介したときは小説における《テーマ主義の問題》について取り上げましたが、今回もそれに関連する内容となります。このような読み方に興ざめしていまう方もいるかもしれませんが、「こんな小説の読み方をする人もいるんだ」ぐらいの軽い気持ちでお付き合いくだされば幸いです。

 

《あらすじ》
は二十歳、女は彼より七つ歳上で結婚していて子供までいる。彼女の夫は旅行会社に勤めていて月の半分近くは家を留守にしていた。五月の昼下がり、いつものように二人は交わった。シャワーを浴びて浴室から戻ってきた彼に女は訊ねる。「ねえ、あなた昔からひとりごとを言う癖があったの?」

 

『彼女はただ泣きたかった』

女がひとりごとについて質問をしたのは、五月の昼下がりのことだった。彼女はその日もやはり泣いて、それで二人はやはり交わった。どうしてその日彼女が泣いたのか、彼には思い出せない。たぶん彼女はただ泣きたかったから泣いたのだ。

 

のひとりごとを聞いて、彼女は母と娘の葛藤の記憶を思い起こす。自意識の抑圧された少女時代、夫権威主義下の生活。彼女は泣き、彼と体を触れ合わせますが、そうすることで自我の欠落を埋め合わせているのかもしれない。

 

『奇妙な欠落感』

そんなまつげをーーーついさっきまで涙に濡れていたまつげをーーーじっと眺めていると、彼にはまたわからなくなってきた。彼女と寝るということがいったい何を意味しているのかということが。複雑なシステムの一部が引きのばされておそろしく単純になってしまったような奇妙な欠落感が彼を襲った。

 

女がその存在感を膨らませていくのを眺めながら、彼は何と言えばいいのか分からない。そして身に覚えのないひとりごとを吐く自分。若い彼にとって人生は不確かで、遥か遠くに感じられる。

 

【ひとり歩きする言葉】

 詩を読むようにして言った彼のひとりごとは、彼女の耳には啓示的な言葉として響きました。しかし彼自身には得体の知れない奇妙な言葉にしか思えません。二十歳の青年にはまだ上手く呑み込むことが出来ません。《心の奥底にある本当を誰も知り得ない》ことも、《言葉がひとり歩きする》という事実も。

 

 批評家のロラン・バルトは論文『作者の死』において《作者と作品を切り離すこと》を提唱しています。それは、作品を生み出した作者が必ずしも正しい答えを握っているとは限らない、という考え方です。これは《言葉がひとり歩きする》という事実を積極的に肯定し、作品の多様な解釈を許容していく『テクスト論』に発展していきます。本作をロラン・バルト風に表現するとこんな感じでしょうか。

 

    言葉のくびきから物語が解放されるとき、

    読者は心に無限の表象を獲得し、

    物語は永遠の命を吹き込まれる。

 

《言葉の絶対視を否定すること》や、《作者と作品を切り離す》という考え方を初めて知ったとき、私は新鮮な驚きを覚えたものです。しかしそれは過渡的な理論であったことに後に気付くことになるのですが、それについてはまたいつか触れます。

 

というわけで、次の作品もお楽しみに(^^♪