村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【氷男】(『レキシントンの幽霊』より)

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 人種、国籍、思想、歴史、文化、宗教などの違いをのりこえ、誰もが人間として尊重される社会を望む人々のことを《コスモポリタン(地球市民)》と呼びます。初期の村上作品は明らかにそうした理想を志向していました。世界政府を掲げたカントを引用したり、世界革命論を唱えたトロツキーを登場させてみたり。思えば『羊男』も一種のコスモポリタンでした。

 さて、本作にもコスモポリタニズムを体現する『氷男』というキャラクターが登場しますが、どうやらその描かれ方はこれまでとは少し趣向が違うようです。

 

《あらすじ》
るスキー場のホテルでひとり静かに本を読んでいた氷男に女性は声をかけた。以来週末のデートを重ねて、彼女は氷男のことを真剣に愛するようになった。家族が結婚に強く反対したので結婚式は挙げていない。氷男は戸籍を持たなかったので入籍さえしなかった。自分たちは結婚したのだと決めただけだった。

 

『氷の記憶』

 氷男に抱かれると、私はどこかにひっそりと静かに存在しているはずの氷のかたまりのことを思う。氷男はその氷塊の存在している場所を知っているのだろうと思う。硬い、これ以上硬いものはあるまいと思えるくらい硬くこおりついた氷だ。それは世界でいちばん大きな氷のかたまりだ。

 

供がなかなか出来ずに時間を持て余した彼女は、気分転換に南極旅行を提案する。最初は渋っていた「氷男」もそれを受け入れた。しかし時が経つにつれ彼女は後悔し始める。何か取り返しのつかないことが起こる予感。やがてそれは現実のものとなった。

 

【最深部の景色】

 村上春樹は本作について次のようにコメントしています。

 

 僕は1989年の夏頃に、ヨーロッパでの長い生活を引き払って帰国して、1年半ばかりを日本で過ごして、それから1991年の初めにはまたアメリカに生活の場を移すことになった。この二編の小説(「緑色の獣」と「氷男」)は、日本に暮らしているそのあわただしい短い期間に書かれた。(中略)

 どうしてこのような奇妙な話をふたつまとめて書くことになったのか、そこには具体的な理由のようなものがなくはないのだけれど、今の段階ではそれについて詳しく説明したくないので、しない。(『全作品第2期-3短編集Ⅱ解題』より)

 

 作者がこの作品を書いた理由を説明しないと言っているので、ここから先は根拠の無い私の妄想です。

 

 ヨーロッパ生活のあいだ、村上春樹は深刻なスランプにはまり何も書けなくなってしまいました。『ノルウェイの森』の驚異的なヒットをやっかむ文壇の重鎮たち(村上が密かにリスペクトする人物もいたようです)からのバッシングが原因とも言われています。

 

 1989年に入り短編集『TVピープル』で社会に立ち向かうテーマを集中的に描いた村上は、どうにかスランプを克服します。そして一時的な帰国の際に、自分と日本の文学界との関係を見つめ直して書かれたのがこの『氷男』。しかし、依然として違和感をぬぐいきれないまま、再び陽子夫人と共にアメリカに旅立ちます。

 

  『氷男』とは春樹本人、語り手の『私』は陽子夫人を投影しています。

 

 物語の中の『私』は厚い氷に囲まれた寡黙な世界に閉じ込められて心を失っていく。氷男は『私』のことを愛してくれている。しかし南極の冷たい風は、愛の言葉すらも凍らせてしまう。

 

 本作に描かれているのは、紛れもなく村上夫妻が体験した孤独の最深部の景色です。次なる村上作品の展開を迎えるためには、その起点ともいえる心境を書き留める必要があったのかもしれません。そして、この先の作品には《コスモポリタニズム》を脱して《日本回帰》に向かう新たな展開も待っているのですが、それについては次回以降に。