村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【めくらやなぎと、眠る女】(『レキシントンの幽霊』より)

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 本作は以前ご紹介した『めくらやなぎと眠る女』を、阪神・淡路大震災の被災地でのチャリティー朗読会向けに書き直しされた作品。「、」がついているのが目印です(笑)

 

 改訂前と後で何が違うのか? なぜこの作品が朗読会に採用されたのか? 短編集『レキシントンの幽霊』のラストに収録された意味は何なのか? 等々、作品をご紹介しながら考察してみたいと思います。

 

《あらすじ》
京での仕事を辞めて一時的に故郷に戻っていた僕は、従兄弟の耳の治療に付き添うことになった。診察が終わるのを待っているあいだ、僕は親友のガールフレンドのお見舞に行った時のことを思い出していた。あの夏の日に、僕らの不注意と傲慢さによって損なわれたもののことを。

 

『見る影もなく溶けたチョコレート』

 僕はそのとき、あの夏の午後にお見舞いに持っていったチョコレートの箱のことを考えていた。彼女が嬉しそうに箱のふたを開けたとき、その一ダースの小さなチョコレートは見る影もなく溶けて、しきりの紙や箱のふたにべっとりとくっついてしまっていた。

 

 僕らはそのことについて何かを感じなくてはならなかったはずだ。誰でもいい、誰かが少しでも意味のあることを言わなくてはならなかったはずだ。でもその午後、僕らは何を感じることもなく、つまらない冗談を言い合ってそのまま別れただけだった。そしてあの丘を、めくらやなぎのはびこるままに置きざりにしてしまったのだ。

 

友とその彼女がその後どうなったかは『ノルウェイの森』に詳しく書かれているのでここでは触れません。今回の改訂で付け加えられたのは、《溶けてしまったチョコレート》に象徴される何かを僕らは感じなくてはならないという、二段目の引用部分です。

 

【故郷からの再出発】

 改訂前の作品は1983年の「文學界12月号」に掲載されました。当時の村上春樹はまだ長編小説『羊をめぐる冒険』を一つを書き上げただけの駆け出しの新人作家でした。

 

 その後『ノルウェイの森』の爆発的ヒットや、米雑誌「ザ・ニューヨーカー」に日本人初のデビューを飾るなどの目覚ましい活躍をするも、ヨーロッパやアメリカに拠点を置いて、日本社会とは一定の距離を取り続けてきました。

 

 しかし、アメリカで震災のニュースに接した彼は、復興に協力したいという思いから、被災地であり故郷でもある神戸と芦屋のチャリティー朗読会に参加します。そのために帰国し、故郷を舞台にした本作を選んでほぼ十年ぶりに手を加えました。

 

 『何かを感じなくてはならなかった』『少しでも意味のあることを言わなくてはならなかった』という言葉は、震災の復興に対する作家の思いが感じられます。また《傷ついた魂の救済》《故郷からの再出発》という新たなテーマが、難聴を抱えた少年と同じ目線に立って語られるのですが、それは被災者と共に歩んで行くイメージに重なって感じられ、私は胸が熱くなります。

 

 これで短編集『レキシントンの幽霊』のご紹介は全て終了しました。村上春樹は日本に帰ってきてからも精力的に話題作を発表し続けます。そのたびにアンチ・ハルキストが現れたり、ノーベル文学賞をめぐる狂騒が起きたりと、この作家の周辺はいつも何かと話題が尽きないのですが、それについてはまた別の機会に。