村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【熊を放つ(第2章・ノートブック)】

 『熊を放つ』第2章では、ジギーの動物園偵察記と自伝が交互に語られます。この二つの文章が『動物園破り』の根拠となるのですが、初読の時は読み通すだけで精一杯。なぜなら、「旧ユーゴスラビア史」という世界史のなかでもマイナーな史実がふんだんに登場するからです。ウィキペディアの力を拝借しながら、なんとかご紹介していきます。

 

《あらすじ》
物園偵察のさなか、O・シュルットという夜警が動物たちの安寧を妨げていると考えたジギーの心に義憤が沸き起こる。彼にいたぶられた哺乳類の恨みを果たすことを決意するジギー。一方でそのノートブックには、第二次世界大戦期の民族対立を巡る壮絶な物語が綴られていた。ジギーは戦後を生きる自分たちのアイデンティティについて思索を巡らせていく。

 

『暫定的な時代、暫定的な年齢』

つまり僕らはふりかえるべき歴史も持たなければ、近い未来を見とおすこともできない。僕らは暫定的な時代に暫定的な年齢を送っている、ということだ。前後に巨大な決断があって、僕らはそのまんなかにすっぽりと埋まっちまっている。

 

ギーのノートブックに共感するも、グラフには『動物園破り』に至るロジックがどうしても納得できない。ジギーは自分が作り出した妄想によって自分自身を破滅させたのではないだろうか? とグラフは考える。

 

民族浄化

 ジギーが書いた物語の舞台である旧ユーゴスラビアは、ヨーロッパ南東部のバルカン半島地域に存在した国家の枠組みです。「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」とも称されたこの地域では、ナチス・ドイツの占領下で、民族対立を煽る分断統治を引き金に大規模な《民族浄化》が行われました。

 

 《民族浄化》とは多数派集団が少数派を弾圧して、単一かつ純粋な地域を確保する行為で、同化政策強制移住に始まり、大量虐殺や集団レイプが行われた例もあります。その多くはいまだ闇に包まれていますが、旧ユーゴ戦争犯罪国際法廷で実態が究明されつつあります。

 

 ジギーは、《民族浄化》の過ちを乗り越えて、人々の多様性や独自性が尊重される時代の到来を夢見たのでしょう。そんな新しい時代の到来を待ちきれない苛立ちが『動物園破り』へと駆り立てていくのですが、突然のバイク事故でジギーは帰らぬ人となり、相棒のグラフも瀕死の状態で計画は頓挫してしまいます。

 

 そもそも『動物園破り』とは何でしょうか? 檻の鍵を開けることが出来たとして、どうやって動物たちを外に出し、郊外まで導こうというのでしょうか? 戦時中の食糧難に動物の大量虐殺を憂えた男が、その動物園の檻を開けまわった事例が紹介されますが、その善意とは裏腹に、彼は動物たちに襲われて死んでいます。リアルな現実とは結局こういうものだと感じさせるエピソードです。

 

 すべてが潰えてしまったかに見えるのですが、物語の本領が発揮されるのはここからです。難解な第2章のあとに、理屈抜きで楽しめる第3章が始まります。訳者の村上春樹はジョン・アービングについて、読者を把握するためのユーモア・世界を展望する視力・適度な哀しみやセンチメンタリズム・そして暴力性を兼ね備えた作家であると語っていますが、最後まで読み終えれば、きっとそのことが納得できます。

 

 『動物園破り』の計画が再び始動します。その結果は如何に?次回をお楽しみに!