村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【熊を放つ(第3章・動物たちを放つ)】

 本稿の「第3章・動物たちを放つ」で本書は大団円を迎えます。私の積年の課題もこれでようやく解決です。なぜなら、本書のモチーフは初期の村上作品に何度も引用されており、ここを通らずして『自称 村上主義者』を名乗れない要所だからです!それでは、60年代の若者たちの生きざまを描いた名作のクライマックスをご紹介します。

 

《あらすじ》
ートブックを読み終えたグラフは、恋人のガレンと再びバイクの旅に出る。動物園破りなど不可能と思いつつも、ジギーの言葉が脳裏から離れない。その計画を然るべきかたちに収めようと心に決めた二人は夜の動物園に潜り込んだ。手始めに霊長類の檻を解放する。続いて小型の哺乳類、草食動物、、、1頭の象を解放したあたりから事態はエスカレートをしはじめる。

 

『混乱のなかの結論』

この混乱の中から結論の輪郭らしきものがやっとくっきりと浮かびあがってきたのは我々がマキシング公園のこんもりと茂った暗い灌木に辿りついた頃だった。その灌木の中に僕はじっと潜んでいる彼らの姿を認めたのだ。三又の火掻棒とか根株掘り鋤、ぎらぎらと光る大枠ののこぎり、乾草用三又、げんのう、三日月の鎌といった原始的な武器を手にした名も無き男たちだ。

 

物たちの喧騒を耳にした住民たちが、ありあわせの武器をもって集まりだした。檻から解放された動物たちは次々と狩猟の餌食になっていく。それはいみじくも、ユーゴスラビアの枠組みが解かれたことがきっかけとなって悲惨な大量虐殺を引き起こしてしまった史実を彷彿とさせます。

 

【スチューデント・パワー】

 《スチューデント・パワー》とは、1960年代に起った学生運動の総称です。中国の文化大革命、フランスの5月革命を皮切りに、アメリカではコロンビア大学闘争、イタリアではボローニャ大学、ドイツではドイツ社学同から運動が広がりました。同時期に、日本でも全共闘を中心に全国の大学が紛争状態になっています。

 

 こうした「怒れる若者たち」の異議申し立ては自然発生的に起こったもので、その理念は「新左翼運動」とも呼ばれています。しかし運動が過熱し、暴力的にエスカレートし始めると、世論は次第に安定を望むようになり、学生運動は社会から追いやられていきました。

 

 本書は《スチューデント・パワー》の高揚と失意を寓話的に描いています。学生運動の多くがそうであったように、ジギーとグラフが起こした小さな革命も失敗に終わりました。自由を得たはずの動物たちが人間の手に落ちていく予想外の結末は、皮肉にもジギーが憂いた「時代に翻弄された人々の末路」そのものです。それでも、混乱をかいくぐって逃走した二頭のメガネグマに希望を託して物語は幕を閉じます。

 

 『むせかえるような青年期の想い』が本書の魅力なのですが、随所に描かれる破れかぶれでギラギラした表現は、時代感覚のギャップを感じずにはいられません。また、最後まで読み通すにはヨーロッパ南東部の歴史と文化に関する予備知識も要求されます。けっして読み易いとは言えませんが、チャレンジする価値のある作品だと思います。

 

 ところで、アービングが本書に掲げた《動物倫理》が成就する時代はやって来るのでしょうか? その可能性は意外に高く、結論が出るのも案外早いと私はみています。昨今のようなダイバーシティ(多様性)を尊重する社会通念が拡大解釈されたその先には人間中心主義からの脱却というパラダイム・シフトが必ず待ち構えているはずです🐻