村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【カンガルー通信】「中国行きのスロウ・ボート」より

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 この作品はカセットテープに録音した一人語り、という一風変わった体裁をとっています。今回改めて読み返してみて、転機を迎えた作家の並々ならぬ決意が示されていたことに気付かされました。

 

【要旨】

  • 柵の中の4匹のカンガルーがもたらす啓示。
  • 苦情の手紙に見出した新しい文体の在り方。
  • 僕が目指す大いなる不完全さを、あなたの手紙と4匹のカンガルーが支えてくれることでしょう。

 

『大いなる不完全性』

カンガルーを見るたびに、いったいカンガルーであるというのはどんな気持ちがするんだろうと、いつも不思議に思います。彼らはいったい何のために、オーストラリアなんていう気の利かない場所をはねまわっているんでしょう。そして何のために、ブーメランなんていう不細工な棒切れで殺されちゃうんでしょう?

 

デパートの商品管理係の「僕」は、「自我」について考え出すと体がバラバラになりそうな感覚に襲われる特異体質の持ち主。 ある朝、動物園のカンガルーの世界を覗き見たとき「大いなる不完全性」の啓示に出会います。

 

『自我の喪失した物語』

  僕はそのストーリーを理解するまでに、あなたの手紙を三度読みなおさねばなりませんでした。なぜならあなたの手紙は、我々のもとに寄せられる他のどんな苦情の手紙ともまるっきり違っていたからです。はっきり言えば、あなたの手紙の中には苦情さえ存在しないのです。感情も存在しません。ストーリーだけがーーーー存在しています。

 

商品の苦情として寄せられたその手紙に「僕」は強烈な感動を覚えます。その手紙はゴタゴタとこみいっていて、そのくせ取り掛かる手がかりもなく、そこにいるべきはずの肝心な「あなた」が喪失していました。

 

【ハードボイルドの系譜】

登場人物の自我がブラックボックス化した物語に対して、読者は無意識のうちに自前の「自我」をそこに投影します。それはボクたちの読書体験を、より複雑で味わい深いものにしてくれます。

 

物語の文体から「自我」を切り抜くという手法は、ヘミングウェイに始まると言われています。いわゆる《ハードボイルドもの》です。それはハメットやチャンドラーに受け継がれて、ミステリー小説には欠かせない要素になりましたが、私小説の伝統が根強い我が国の純文学とは相容れないものでした。

 

村上春樹はチャンドラー作品へのリスペクトを公言していて、初の長篇小説『羊をめぐる冒険』は、チャンドラーへのオマージュのような《ハードボイルド作品》に仕上がっています。

 

今回ご紹介した作品はその『羊をめぐる冒険』の直前に書かれたもので、革新的な文学に挑戦する作者の熱い意気込みを感じさせる内容になっています。