村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【更なる人生を】(『犬の人生』より)

 今回からアメリカ現代詩界を代表する詩人のマーク・ストランドの短編集『犬の人生』をご紹介していきます。翻訳はもちろん村上春樹

 

 彼の作品は俗に《オフビート*1》ととも呼ばれ、常識から外れた突飛なものが多いのですが、村上作品を理解するうえで欠かせない要素を含んでいるので思い切って取り上げてみました。詩的な情感がちりばめられた14作品。詩人の手による想像力に満ちた短篇小説の魅力をお伝えしたいと思います。

 

《あらすじ》
事にうんざりしていた僕は、勤めていた証券会社を辞め、友だちのサマーハウスでひと夏を過ごしていた。午後の散歩の途中、一匹の蠅が僕のまわりをくるりとまわると目の前に浮かでとまった。僕はそのとき突然こう思った。死んだ父さんが蠅になって戻ってきたんだ!

 

『父さん、行かないで』

「父さん!」と僕は言った、「いいから、僕にとまりなよ」。ぶんぶんという羽音は異様なほど高まった。それは狂おしいばかりの不同意を示していた。なんとか父さんと会話をすることができたらなと思ったことを記憶している。彼は飛び去ってしまった。「父さん、行かないで」と僕は大きな声で叫んだ。「帰ってきて」。

 

生の進展(おそらく詩人として独立)に伴い、仕事から、女たちから、都会生活から逃れて自己実現を果たしてきた「僕」に亡き父親の幻影が訪れる。それを喜々として受け入れ『父さん、戻ってきたんだね!』と語りかけるが、そのたびにはねつけられてしまう。なぜなら「僕」が父と思って語り掛けるその相手とは、野原を飛び回る蠅であり、セントラル・パークの馬であり、出会って間もない恋人のヘレンなのだから。

 

【父の思い出など】

 このブログを書いている私の父は、仕出し割烹屋の5人兄弟の三男坊で、幼い時に親元を離れて疎開暮らしを経験しました。生魚が苦手なこともあって、家業には加わらずに他業種の丁稚奉公を経て独立し、母と二人で小売業を営んで私を育ててくれました。

 

 私自身は大学を出てゼネコンに就職して以来、受注をめぐる他社との争奪を生業にしながら過ごして来ました。地域経済の裏や表も見てきましたし、窮地に立たされながら首の皮一枚つながって救われた苦い経験もあります。

 

 ちなみに私の父はまだ健在です。商売を閉じてのんびりとした年金暮らしをしながらも、生来の偏屈さを残していて、顔を合わせるたびに私はなにかと反発を感じます。父には父の人生があり、私にも私の人生があり、両者はこの先も遠ざかりこそすれ距離を縮めることは無いとずっと思ってきました。

 

 本作の語り手は、世に認められないまま死んだ父とは真逆の華やかな生活を送っているのですが、父のことを思い出すたびに、そんな自分の生き方に対して自己嫌悪に陥ります。初めてこれを読んだ時私は、何か冗談のようなものでも言っているのかと勘繰りました。しかし、繰り返し読むうちに、語り手の言葉が誠実なものであることを徐々に確信するようになりました。

 

   人は誰しも心の底から父親を敬い、憐れみ、そして赦しを請う

 

 親子の間に生じるこのような複雑な感情について、この物語は理屈抜きに湧き上がる根源的な意識として描いています。いま改めて振り返れば、実はそれが私の中にもある父に対する本当の想いであることを認めざるを得ません。

 

 マーク・ストランドの作品はどれをとっても「ちょっと変な」ものばかりです。しかし、そこから思いもよらない「ちょっと変な」何かを自分の中に見出してしまうことにも。こんな調子で残りの13作をご紹介していきます。どうぞよろしくお願いします。

 

*1:ジャズなどの演奏において通常とはずれたところに強迫があること。それを転じて常識から外れた人物を描いた作品をさす。