本作にはボブとベイブのベイビー夫妻のちょっと変わった一日が描かれています。初めて読んだときには、いくつものクエスチョンマークが私の頭に浮かびました。ベイビー夫妻とは何者か? 彼らはどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか? 詩的なメタファーに彩られた物語をご紹介します。
《あらすじ》
カリフォルニアに朝が訪れて、ベイビー夫妻は目を覚ます。気怠い仕草のあと、固定化され、装飾され、責務の試練と哀しみのすぐ間近にあるという光の世界に彼らは身を置いた。ボブとベイブはどちらも見覚えのあるハリウッドスターに似た顔立ちをしている。朝食の席でボブは、唐突に饒舌なスピーチを始めた。
『彼らは次から次へとやってきた』
「彼らはポーランドやらロシアやら、フランスやドイツやら、トルコやらコンゴや、アイスランドやイタリアからやってきたんだ。中国やフィリピンからやってきたんだよ。彼らは次から次へとやってきて、叔母さんやら従兄弟やら妹やら弟やら、母親やら父親やらをつれてきた。船や汽車やら飛行機やらでやってきた。歩いたり走ったり、リュックやトランクや・・・」
黙ってスピーチを聞いていたベイブは、声を上げて笑い出す。予想外の反応に会ってボブはびっくりしたが、すぐに気を取り直した。その後も彼らは、過去の道のりを思い出してはうぬぼれたり、怖気づいてみたり。断食を思い立ったかと思えば、それを止めて悔やんだりと、二人はひと時も心休まることがない。
【アメリカの歩み】
アメリカの歴史は、1776年のイギリスとの紛争中に発布された「独立宣言」に始まります。独自のフロンティア・スピリットを掲げて西部開拓を手始めに、メキシコ割譲地、カリブ海諸島、フィリピン、ハワイ、グアムを次々と併合し、経済を大きく発展させます。経済の担い手として多くの移民を受け入れたのも、この頃です。
第二次世界大戦に勝利してからは、欧州や太平洋地域への影響力を確固たるものとし、建国後200年足らずの間に大国の地位を手に入れました。また、軍事ばかりでなく、政治、経済、科学技術においてもリーダー的役割を自認し、特に文化においてハリウッドを中心とした映画産業は、今でも世界を席巻しています。
本作は、《アメリカの歩み》をベイビー夫妻の一日として寓話的に描いています。欧州諸国に比べてアメリカの歴史は圧倒的に浅いために、大人の姿をした赤ん坊(ベイビー)と表現されているようです。
そんなアメリカが、冷戦終結以降は唯一の超大国として君臨し、歴史ある国々を掌握している現実は皮肉なものです。その一方で、アメリカ人として生きるのは羨ましいどころか、むしろ大変なことであることがこの作品から伝わってきます。
人は誰しも運命づけられたそれぞれの場所に投げ出される。過去から積み上げられた歴史を背負って歩むとき、かけがえのない何かが動き始める。
いずれにしても、アメリカはこの先も持ち前のフロンティア・スピリットを抱いて民主主義の覇権に向って突き進んで行くのでしょう。ただ、その担い手であるボブとベイブの姿が、近年では白人から非白人へと変貌しつつあることに、彼らは少し戸惑っているように見えますが。