村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【将軍】(『犬の人生』より)

 本作に登場する『将軍』とはダグラス・マッカーサーのことを指していると思われます。私が彼についてまず思い浮かべるのは、コーンパイプをくわえて厚木基地に降り立つ姿。GHQ最高司令官として占領下の日本に君臨し、民主化政策を推し進めた人物です。朝鮮戦争から退く際には「老兵は死なず」の名言を残していますが、彼の実像を知る人にとっては苦々しい思い出も蘇るようです・・・

 

《あらすじ》
軍は部隊の士気の低下について気をもんでいた。この戦争には戦うだけの意味があるのだということを証明できる人間は将軍をおいていない。彼は前線に出て行き、敵に向ってこぶしを打ち振るい、閃光を放って飛び交う銃弾の中で国家を歌ってみせた。しかし、そのような将軍の勇敢さをもってしても、敵軍の前進を阻止することはできなかった。

 

『負傷者を戦いに復帰させよう』

 「こんなことを言うとあるいは酷く聞こえるかもしれないが、私は負傷者を戦いに復帰させようと考えている。武器を与えずに、よろよろとした足どりで戦闘に参加させるのだ。我々は敵に教訓を与えねばならぬ」

 将軍は歩を止めた。彼は眉をしかめて、副官をじっと見つめた。「もしそれがうまくいかなかったなら、何人かの兵士たちを素っ裸で戦場に出すのだ。そして無人地帯で踊らせる」

 

劣な作戦により戦況はますます悪化していき、多くの兵隊が死んでいった。しかし、この敗戦によって逆説的に崇高な理念が証明されたとして大統領は大いに喜んだ。そして将軍に新しい任務を打診する。この腐りきった世界に、本当の恐怖とは何かを立証するために、将軍は再び戦場に復帰した。

 

バターン死の行進

 『バターン死の行進』とは、太平洋戦争中の日本軍によるフィリピン進攻作戦で、日本軍に投降したアメリカ軍とフィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所に移動する際に多数死亡した行軍です。

 

 当時元帥としてフィリピンを統治していたのがマッカーサーであり、日本軍の猛攻によって彼の軍事作戦はことごとく失敗に終わりました。降伏して捕虜となったアメリ将兵は、「絶対に降伏するな」という元帥の死守命令によって疲労と飢餓で衰弱しており、日本兵による暴行や疫病の蔓延も含め未曾有の人的被害を引き起こしました。

 

 このアメリカ史上もっとも痛烈な敗北を喫した敗将であるにもかかわらず、情報統制の効果もあって、マッカーサーは国民から熱狂的に支持されます。そして、このような宣伝価値が戦争遂行に大いに役立つと見なされると、次の朝鮮戦争においても総司令官に任じられました。

 

 本作には将軍と副官と大統領が登場して、深刻な状況にもかかわらずコミカルな覆面トークを繰り広げています。それは誇張されているものの壮絶な局地戦の史実を基にしており、《机上の戦争》と《本当の戦争》がいかに乖離しているか風刺しています。

 

  勝利が単純なものという誤った幻想で、人は誰しも机上の戦争に酔いしれる

 

 今回マッカーサーの経歴を検索すると、実に毀誉褒貶の激しい人物であったことを知り、私の中の彼のイメージは一転しました。歴史上の真実はこれからも掘り起こされていくでしょうが、本作のように文学がそのきっかけを担うこともあるでしょう。

 

 ちなみに、朝鮮戦争の上陸作戦の成功に慢心したマッカーサーは、中国との全面戦争を画策します。この男の戦争にかける執念が危険なものであることにようやく気がついたアメリカ政府は、遅まきながら彼の解任を決断します。

 

  「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」

 

 これは歴史の舞台から退場する戦場のモンスターが残した断末魔の言葉でした。