村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【③道のり】(『最後の瞬間のすごく大きな変化』より)

 今回ご紹介する作品には、自分の息子と既婚女性との不倫関係について申し開きする母親が登場します。弁明すればするほど隠れた事実が次々と露呈していきます。道義的な問題はこの際一旦脇に置いて、そのストーリーテリングの面白さを味わいました。

 

《あらすじ》
の階に住んでいるジニーは、亭主が女と駆け落ちしてからというもの子どもたちと泣き暮らしている。それを不憫に思った息子のジョンは、妻がいるにもかかわらずジニーの部屋に入りびたっている。そもそも私はジョンにジニーとの結婚を思いとどまらせた過去がある。大事な息子をジニーなんかに渡せるものですか。

 

『私の息子は私の問題なんだ』

「私の息子の心配をするのは私の問題だね」「ちがいます」と彼女(ジニー)は言います。「それはジョンの問題です」「私の息子は私の問題だよ。私には一人の息子しか残されていないし、その子の心配をするのは私の問題だ」

 

「私」のことを頭の具合があやしいと言う人もいれば、道理をわきまえた女だと言う人もいる。浮気を重ねた夫もあの世に行ってしまったし、今はただ玄関先に座って、ジニーに恋して訪ねてくる息子のジョンの姿を一目見たいと思うだけ。周りは二人についてとやかく言うけれど、大した道のりってわけでもないのにこの騒々しさはいったいどういうこと?

 

【女性にとっての道徳】

 哲学者のボーヴォワールは次のような言葉を残しています。

 

女性が不道徳に陥るのは、女性にとって道徳というものが、非人間的な本質の具体化となっているからだ。(『第二の性』より)

 

 道徳の中でも社会的秩序の維持に関するものは《社会道徳》と呼ばれます。それは伝統や習慣のように文化によって異なる場合もあれば、時代の空気によって変化する場合もあります。ペイリーの時代には、そうした破壊的変化の動きは女性たちから発信されています。

 

 例えば、ベトナム戦争にいち早く反対運動を起こした『婦人国際平和自由連盟』は、国家への忠誠という《社会道徳》の破壊者でした。当時のアメリカ国民の大半は戦争が始まっていたことすら気づいていませんでしたが、北ベトナムへの無差別空爆が始まり、アメリカ兵の戦死者が4桁を越えた頃から、反戦こそが《社会道徳》だと、世の中の情勢は彼女たちの支持に180度転回しました。

 

 物語に登場する母親は、不貞の罪を犯してしまった息子をかばって堂々と既存の《社会道徳》に対抗する論陣を張りますが、残念ながらツッコミどころ満載の支離滅裂ぶり。しかしその熱量には、家族の生活を支えてきた強靭さが伴います。男性の中からは決して出てこないこの妖力は、確かに世の中の常識を破壊する「何か」を感じさせます。

 

 本来フェミニストであるはずのグレース・ペイリーは、本作では教訓めいた言葉を棚上げして、この愛すべきキャラクターの造形に徹しました。活動家としての主義主張よりも小説家としての血が騒がずにいられない、といった気風のいい作品です。