本作は村上春樹自身が短編集『バースデイ・ストーリーズ』のために書き下ろした作品です。国語教科書に採用されていますが、派手なイラストで単行本化されたのを記憶している方も多いのではないでしょうか。本短編集が英語圏で刊行された時には、「人生と幸福について深く考えさせられる」等の高い評価を得たと言われています。
《あらすじ》
20歳の誕生日を迎えた彼女は、アルバイト先のイタリア料理店で働いていた。その日はフロア・マネージャーが急に体調を壊し、代わりに彼女が謎のオーナーに夕食を運ぶ事になった。食事を運んだ彼女は、オーナーから誕生日の祝福のしるしとして一つだけ願い事を叶えてあげようという申し出を受ける。
『君の望むこと』
「こうなればいいという願いだよ。お嬢さん、君の望むことだ。もし願い事があれば、ひとつだけかなえてあげよう。それが私のあげられるお誕生日のプレゼントだ。しかしたったひとつだから、よくよく考えた方がいいよ」
彼女は言われた通りに一つだけ願い事をした。それは普通の女の子が考えるようなことではない一風変わった内容だった。その後、彼女はアルバイトを辞め、年上の公認会計士と結婚し、今では子供二人と犬1匹の平穏な暮しを送っている。
【自由意志】
彼女の願い事が何であったかは最後まで語られません。しかし、オーナーが繰り返す『君がそう望むなら』のセリフや、その後の生活にそれなりに納得しているなどの会話、それが叶ったかどうかは最後まで見届けなければ判明しないといった彼女の言葉から、願い事は次のようなことではないかと推測します。
人生を自分の望み通りに選択し!望み通りに為し遂げたい!!
そうした概念は一般的に《自由意志》と呼ばれ、哲学的な思索が始まって以来の重要な論点とされたことで知られています。
例えば、デカルトは《自由意志》を哲学の第一命題に据えました。しかし、スピノザはそれを否定して《決定論》を唱えました。ライプニッツは《予定調和説》によってその二つを両立させようとしましたが、フロイトが発見した《無意識》は哲学の前提である人間の理性そのものを根底から揺さぶりました。その後、ニーチェは《自由意志》と《決定論》を《永劫回帰*1》という文学的次元に帰着させます。
冒頭で触れたように、本作は確かに「人生と幸福」について言及しています。しかし本作で語られるそれは、私たちの日常から切り離された文学的な次元における概念ではないでしょうか。なぜなら人生の幸福を左右する《自由意志》は、ニーチェが語っているように、虚構の世界でしか語り得ない真理だからです。
『私が言いたいのは』
「私が言いたいのは」と彼女は静かに言う。そして耳たぶを掻く。きれいなかたちをした耳たぶだ。「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと、ただそれだけ」
彼女が語る言葉を《自由意志》が辿りつく諦観と考えれば、ニヒリズム的な響きが感じられるのも納得がいきます。同時に、これまでこの短編集で見てきた「モダン⇒ポストモダン⇒リバタリアニズム」といった文学の変遷も、結局のところ何処にも行き着きはしない、という作者の最終的な結論が暗示されているようにも思えますが、皆さんはどうお感じになるでしょうか?
本作が教育現場でどのように活用されたのかも気になりますが、ともかく『バースデイ・ストーリーズ』のご紹介はこれにてすべて終了です。言葉足らずなところが多々あったかと思いますが、懲りることなく同様のテーマに繰り返し挑戦してみたいと思います。これぞ《永劫回帰》の神髄!なんてね(^-^)