本作は冒頭から『チャーリー・パーカー・ブレイズ・ボサノヴァ』という実在しないレコード評が8ページに渡って続きます。そのマニアックな内容に圧倒されて、村上主義者のこのボクも最初は少し引き気味でした。ともかく正直に感じたことを書いてみます。
【要旨】
- 自ら捏造した記事をきっかけとして、バードとの対話が実現するという奇譚。
- 「あなたにはそれが信じられるだろうか?信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから」
- 虚構は現実を侵蝕し、夢は意識に働きかける。本物の死だけが重く沈黙する。
『架空のレコード』
僕はそのレコードを手にしたまま、言葉もなくそこに立ちすくんでいた。身体のどこか奥の方で、小さな部位がひとつ麻痺したような感覚があった。僕はあらためてまわりをうかがった。ここは本当にニューヨークなのか?
ニューヨーク市内の中古レコード店で、実在しないはずの架空のレコードと対面します。物語らしい展開が戻ってきたことでひと安心(*´з`)
その音楽をいったいどのように表現すればいいのだろう。バードが僕ひとりのために夢の中で演奏してくれた音楽は、あとから振り返ると、音の流れというよりはむしろ瞬間的で全体的な照射に近いものであったように思える。
夢の中で演奏を聴かせてくれたバードは、『僕』に向かって語り始めます。34歳で終えた短すぎる人生について、死の瞬間について。静謐な空気が漂うシーンです。
「死はいつだって唐突なものだが」とバードは言った。「しかし同時にひどく緩慢なものでもある。君の頭の中に浮かぶ美しいフレーズと同じだ。それは瞬く間の出来事でありながら、同時にどこまでも長く引き延ばすことができる。」
バードの言葉はいったいどこからやってきたのでしょうか? 虚構と真実が入り混じった内容はボクを混乱させます。ただ一つ言えるのは、ボクたちはごく自然に心の中に他者を介在させることで、物事を考えたり、言葉を紡ぎ出したりしていること。あまりにも自明すぎて、普段はそんなことを考えたりしませんが。
【まとめ】
村上春樹がチャーリー・パーカーに心酔していたなんて、これまで聞いたことがなかったので、やはりこの作品自体が架空の主人公が語るフィクションなのでしょうか。その一方で、時代や場所を越えて人の無意識の底にあるという「神話的構造」がぼんやりと感じられるのですが、今のボクにははっきりとその姿を捕えることは出来ません。