村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【猫を棄てる】

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 本書は、父と息子の個人的な物語であると同時に、歴史の一隅を照らす物語でもあります。ある夏の日に、父と息子が海辺に一匹の猫を棄てに行ったエピソードから始まります。

 

『小さな歴史のかけら』

どうしてその猫を海岸に棄てに行かなくてはならなかったのだろう?

 なぜ僕はそのことに対して異議を唱えなかったのだろう?

 

息子の心に刻まれた父との奇妙な記憶。そこから、父の過去の戦争体験についての疑念へと進みます。村上春樹の父である千秋氏の軍歴や、書き残された俳句を手掛かりに、心に長い間わだかまっていた『小さな歴史のかけら』が解き明かされます。

 

『第十六師団の軌跡』

一度だけ父は僕に打ち明けるように、自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑したことがあると語った。どういう経緯で、どういう気持ちで、彼が僕にそのことを語ったのか、それはわからない。

 

千秋が所属していた第十六師団の第二十連隊は南京陥落に一番乗りを果たし、徐州陥落後、武漢の攻略へと臨んでいます。自身の戦争体験について多くを語らなかった父でしたが、伝えねばならないという想いがそこにあったのだと思われます。

 

『歴史の継承』

その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?

 

歴史に埋もれた個人史が、わずかな手掛かりをもとに読み解かれました。それは不明瞭でうかがい知れない闇も含んでいます。しかし、そうした物語にボクたちが想像力を働かせる時、歴史は智慧となり、教訓となり、そして自らの責任となっていくのかもしれません。

 

【歴史問題について】

 村上千秋氏が毎日祈りをささげたような、戦地で果てた英霊とその侵略の被害者に対して同時に等しく哀悼することは、ボクたちの間では未だに受け入れがたい矛盾として存在しています。今はまだ上手く言えませんが、歴史問題をめぐる周辺諸国との終りの見えない軋轢を思うとき、そんな考えがぼんやりと頭をよぎります。