村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【一人称単数】「一人称単数」より

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今回はピリッと引き締まった短い作品ではありますが、この短編集の表題作でもあるので、総括的な意味合いを読み取ってみたいと思います。

 

【要旨】

  • 隣の席の女性が唐突に理不尽な言いがかりを浴びせて来た。
  • 「恥を知りなさい」
  • 匿名で発言された誹謗中傷が夜空に舞い、グロテスクな景色が街を覆い始める。

 

『スーツとネクタイ』

そのとき私はふとこのような感覚に襲われた------私はどこかで人生の回路を取り違えてしまったのかもしれない。そしてスーツを着てネクタイを結んだ自分の姿を見つめているうちに、その感覚はますます強いものになっていった。

 

作者の素に近いと思われる「私」が登場し、普段とは違う格好でコソコソと外出する様子が描かれたシーンです。上の引用にあるような違和感を生み出した「スーツとネクタイ」はアイデンティティの不安を象徴しているのでしょうか。

 

『バーで出会った見知らぬ女性』

彼女が私に向かって口にしたことは、すべて具体的でありながら、同時にきわめて象徴的だった。部分部分は鮮明でありながら、同時に焦点を欠いていた。その乖離が私の神経を奇妙な角度から締め上げていた。

 

バーで出会った見知らぬ女性から、理不尽な言いがかりを浴びせかけられます。根拠薄弱な又聞き話・無責任な匿名発言・歪んだ正義感の暴走・・・現代社会に蔓延するこのようなモンスターの出現は、一人ひとりが胸に手を当てて考える問題でもあるのですが、ここではひとまず話を前に進めます。

 

『一人称単数の世界へ』

「一人称単数」とは世界のひとかけらを切りとる「単眼」のことだ。しかしその切り口が増えていけばいくほど、「単眼」はきりなく絡み合った「複眼」となる。そしてそこでは、私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく。そして、そう、あなたはもうあなたでなくなっていく。そこで何が起こり、何が起こらなかったのか?「一人称単数」の世界にようこそ。(『一人称単数』の帯の紹介文より)

 

一人称単数とは揺れ動く個の視点であり、孤軍奮闘するマイノリティの視点であり、一連の短編物語の入り口でもありました。ボクたちは物語を通じて、微細な世界に焦点を合わせたり、視野を広げて普遍的な概念を獲得しながら、限りない意識の広がりに向けて歩み続ける。そんなイメージがぼんやりと浮かびます。

 

【まとめ】

《個人》と《社会》あるいは《単眼》と《複眼》というテーマが、短編集『一人称単数』全体に通奏低音のように流れていたことが、この作品を読み終えてようやく見えてきました。

 

説明もつかないし筋も通らない、しかしボクを不思議な幻想世界に導く八つのエピソード。6年ぶりの短編小説集をたっぷりと楽しむことができたように思います。