本作はボサノヴァのスタンダード・ナンバーを題材にした作品です。軽やかなメロディと《物質と記憶》をめぐる重厚な哲学が共演する大人の作品に仕上がっています。
『形而上学的な熱い砂浜』
1963/1982年のイパネマ娘は形而上学的な熱い砂浜を音もなく歩きつづけている。とても長い砂浜で、そこには穏やかな白い波がうちよせている。風はまるでない。水平線の上には何も見えない。潮の匂いがする。太陽はひどく暑い。
波が打ち寄せる熱い砂浜から、高校の廊下やコンビネーション・サラダ、「いちご白書」的女の子へと連なる〈記憶〉。1963年の過去から1982年の現在に流れ出す〈時間〉。「僕」の胸にこみ上げる懐かしい〈感情〉。ノスタルジックな物語が導く場所は何処でしょうか?
【物質と記憶】
そもそも広大無辺な実存からすれば、〈記憶〉も〈時間〉も〈感情〉も、身体というちっぽけな知覚が作り出すささやかな営みです。しかしそれは、世界と自分を理解するという人間だけに与えられた計り知れない可能性。そんな可能性を信じて、絶え間なく変化する精神の揺らぎを温かく、愛おしく、切なく感じながらボクたちは生きています。
『物質と記憶』の著書で知られるアンリ・ベルクソンは、人の認識を越える物質世界の総体を《イマージュ》と呼びました。身体が知覚する〈記憶〉〈時間〉〈感情〉は《イマージュ》のごく一部に結びついているに過ぎませんが、その限られた知覚を自分の内に持続させ、その精神を刻一刻と生成していくことが人間の生命の本質だと彼は語っています。
20年の時をまたいで「僕」の想像力を喚起する『イパネマの娘』は、この先も末長く名曲として聴き継がれることでしょう。その一方でこの時点ではまだ産声を上げたばかりの村上作品。長く読み継がれることを、当の作者でさえもまだ知る由もありません。
今回はベルクソンを手掛かりに少し背伸びをしながら読んでみました。でもまだ解けない仕掛けがたくさん残されていそうです。そんな村上作品の奥深さをご一緒に探ってみませんか。