本作は複数の国語教科書に採用されたという意味で、隠れたベストセラー作品です。教室で読む村上作品はいったいどんな感じがするのでしょうか。若い感性をもつ生徒たちと本作をテーマに語り合ってみたいものです。
【要旨】
- それは僕が小さな中学校で夜警の仕事をやっていた頃。
- 風の強い夜の見回りのときにそれは起こった。
- 僕はあの夜味わった恐怖だけはいまだに忘れることができないでいる。
『風の強い夜』
それは十月の風の強い夜だった。寒くはなかった。どちらかというとむし暑いくらいの感じだった。夕方ごろからやけに蚊が多くてね、蚊取線香を二つ点けてたのを覚えてるよ。ずうっと風が音を立てていた。
進学を拒否して放浪生活をしていた「僕」は、新潟の小さな中学校で夜警の仕事についている。これはある風の強い夜の見回りのときに起こった出来事の話。
『氷山のような憎しみ』
でもその時ただひとつ僕に理解できたことは、相手が心の底から僕を憎んでいるってことだった。まるで暗い氷山のような憎しみだった。誰にも癒すことのできない憎しみだった。僕にはそれだけを理解することができた。
夜中の三時に廊下のまん中あたりを通り過ぎたとき、暗闇の中で「僕ではない僕」に出会います。その相手が心の底から自分のことを憎んでいることに驚愕します。
【自我と自己の衝突】
さて、ボクはこの話を読んだとき、悪夢にうなされて悲鳴を上げながら飛び起きたいくつかの経験を思い出しました。今思えば、それは自己を知る手がかりを示していたのかもしれないのですが、その時は、得体の知れないものが自分の中に存在することに怯えるしかありませんでした。
日常における意識(=自我)は、心の奥に潜む内的な人格(=自己)に出会ってしまうと、様々な自己矛盾や葛藤に直面すると言われています。例えば、人とは違う性的指向、生涯をかけた理想の全否定、愛するべき家族への憎しみ、などなど。このような託宣を、心の成長や自己実現と考えて受け入れるには、あまりにも残酷すぎる場合もあります。
教室で学ぶ若者たちにボクはお伝えしたいことがあります!
語り手の「僕」は不思議なことなんてはじめからなかったのだ、と自分を納得させていますが、この主人公の行動を間違っているなどと決めつけないでください。そして、安易な気持ちでスピリチュアルな自己探求の世界にのめり込まないように! 確かにある種の真実は心の中にあるのですが、その心が壊れてしまっては元も子もないのですから。
いずれ時が経てば、恐ろしい悪夢の正体を知る時が来ます。ボクは今でもその悪夢と適当な折り合いをつけながら日々を送っています。