『午後の最後の芝生』に続く、職業作家の道を歩み始めた作者の第2弾となる短編作品です。当時はまだ目新しい分析心理学の知見が取り入れられています。
【要旨】
- 時代に取り残されつつある古きリゾート・ホテル。
- 食堂で出会った女性が打ち明ける心の傷。
- 僕は途切れかかった心の繋がりを再び取り戻そうと決意する。
【彼女に訪れた異変】
ホテルの食堂で知り合った女性と会話するうちに、思いがけず彼女が抱える心のしこりに触れてしまいました。ひと気のない夜のプールで、死んだ飼い犬と彼女に訪れた異変についての回想がはじまります。
家の中も庭もすごくしんとしていて、午後の三時をまわったばかりなのに、もう夕方みたいだったわ。光が短くて、ぼんやりとしていて、距離がうまくつかめないの。ふたの釘を一本ずつ抜いている時に家の中で電話のベルが鳴っていたのを覚えてるわ。ベルが何度も何度も何度も何度も------二十回くらい鳴ったの。二十回もベルが鳴ったのよ。
本文では少女から大人への転換期が精緻に語られていますが、未読の方の楽しみを削ぐことになるのでこれ以上の引用は避けます。
そんな彼女の記憶に潜り込むかのように、「僕」は電話のベルを何度も鳴らして、途切れかけたガール・フレンドへのコールを繰り返します。自分が向き合うべきものが何なのか、ようやくそのことに気づいた主人公の姿が印象的です。
【シュールな描写と心理解析】
ホテルのたたずまいや、訪問客の何気ない雰囲気、食堂で差し出される料理など、フラットな視点で切り取られる景色には不思議なリアリティーが漂います。また、思春期の成長やトラウマを引き起こす過程には充分な説得力が感じられます。
このようなシュールな描写と心理解析の相性がとても良いためか、こうした道具立ては、この作品以降も村上文学に欠かせないものとなっています。