村上春樹レヴューのブログ

自称村上主義者の私が独自の切り口で作品をご紹介します。

【32歳のデイトリッパ―】「カンガルー日和」より

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 ビートルズの『デイトリッパー』は、自由奔放な女の子に手を焼く男のぼやきといった内容の曲です。本作は陽気な曲調とスキャンダラスな雰囲気を織り交ぜながら《若さ》の秘密に迫っています。

 

【要旨】

  •  僕は彼女との月に一度だけの歳の差デートを楽しんでいる。
  • 18歳の彼女は、僕が青年であった頃のことを思い出させてくれた。
  • 僕は彼女の隣りの席で、どこまで行っても変わりばえしない景色を眺めている。

 

 『もう一度十八に戻りたい?』

「ねえ、もう一度十八に戻りたいって思う?」と彼女が僕に訊ねる。

「いや」と僕は答える。「戻りたくなんかないな」

彼女は僕の答えがうまく理解できないようだった。

「戻りたくないって……本当に?」

 

『僕』は32歳で妻がいて、18歳の彼女には6人のボーイ・フレンドがいる。そんな彼女との月に一度のデートは『僕』を不思議な気持ちにさせてくれる。若い女の子は退屈だよと同世代の仲間たちは言うけれど、でもそれは一度きりで十分なんだ。

 

永劫回帰

  さて、ボク自身の遠い過去を思い返してみると《若さ》とは確かに未熟で退屈なものです。でも、人は若さの真っ只中にいるときには、人生に対して無条件に前向きになれるもの。意味の無いことに夢中になったり、くだらないことに熱くなってみたり、気ままなモラトリアム時代が永遠に続くと勘違い。今となってはお酒の力を借りなければそんなハイな気持ちになどなれませんが(*'ω'*)

 

 人生が同じ姿形で繰り返し現れたとしても、文句も言わずに受け止めることができるその人を『超人』と呼びます。ニーチェは人生に対する強い肯定という自由意思によってもたらされる世界の在り様を『永劫回帰*1』の理念に託しました。

 

   《若さ》とは『永劫回帰』の縮小版のような日々ではないでしょうか

 

 無邪気な自己肯定の月日が過ぎ去れば、夢から醒めたようにそのリアリティは失われます。それでもそこに何か手応えを感じる事が出来た人は《若さ》の憧憬を追い続けるのでしょう。ボク自身について振り返ってみると、残念ながらそんな手応えはなかったので、物語のなかに描かれる情景をまぶしく感じながら味わっています。

*1:この世界は、全てのものがまったく同じように永遠にくり返されるとする思想。到達すべき彼岸の理想もなく、現世の物事にも意味や価値はないというニヒリズムの極致から生への絶対的な肯定が生まれるという考え方。